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第93話

 もうもうと水蒸気があがり、カンカンと(かま)が歌って気まずい沈黙を埋める。やがて国境に横たわる山脈が、風防ガラスの向こうに迫るところまでやってきた。峻険な峰が連なるあの山嶺を超えれば第一関門突破だ。  暁光(ぎょうこう)が、霧の残滓もろとも夜の(とばり)を切り裂いたように、満天が濃い灰色から群青色へと層をなす。麓から中腹にかけて森林地帯が広がり、そこを(すみか)とする野鳥たちが〝奇妙奇天烈な飛ぶもの〟の出現に驚いて、一斉に羽ばたいた。  ゆっくりと機首をあげる。山肌にへばりついて見える集落を過ぎて、渓谷を越えて、地すべりが発生した痕も越えた。  外気温との差で風防ガラスが曇りはじめたあたりで、ヴォルフはにわかに不安に駆られた。初号機に改良を加えたとはいえ、この機も試作品に毛の生えた程度。高山を越えようとするのは無謀な挑戦じゃないのか?  骨組みの継ぎ目がぎしぎしと軋むたびに心臓が踊り狂うが、せっせと石炭を()べ足す。輝夜が同族に巡り合えるかどうか、その成否の鍵を握るのは、ひとえにこの冒険行なのだ。今はただ頭を空っぽにして自分の役目に専念するだけ。  ハイハイができるようになったばかりの赤ん坊さながらの危なっかしさで、飛行艇はのたのたと頂上をめざす。それでもジョイスの遺志を受け継いだ研究者の集団が叡智(えいち)を結集した機は、底力を発揮した。  上昇気流に乗ったのも相まって、六合目、七合目と高度を稼ぐ。ところが八合目付近で限界に達して、罐がぷす、ぷすと言いだした。曲がりなりにもまっすぐ飛んでいたのが一転して、ジグザグの軌道を描く。 「変だ、圧のかかり方が鈍い」  輝夜はうわずった声を洩らすと、操縦桿を押してみたり引いてみたり、軽く叩いてみたり回してみたり、した。無意識のうちに相当な力を込めていることを物語って、手の甲に血管が浮き出る。並行して思い切りペダルを踏み、あるいは両足を放すにつれて蒼ざめていった。  なぜなら両翼はそれぞれ別の方向へ行きたがっているように、てんでに上がったり下がったりを繰り返す。 「確か……シリンダー。大事な装置のひとつが目詰まりを起こしたのか、ひびが入ったのか原因はわからないけど、水蒸気の力が動力部に伝わりにくくなっているみたいで、ひとことで言うと手ごたえがないんだ」 「俺は手先が器用だ。あんたが指図してくれて、あとは工具があれば、ちょちょいのちょいで修理してやるぞ」 「飛行中は無理だ、だって……」    煤をひとすじ()いた目許に、泣き笑いめいた皺が寄った。 「動力部は外からじゃないと扉を開け閉めできない造りなんだ。だから修理する、しない以前の問題で不可能だ」

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