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第100話

 数百メートル先の枝に止まったヨタカの羽音に耳が反応した。あれを捕まえるか、いや、豹とヨタカとでは飛ぶことができるぶん、あちらのほうが有利だ。だいたい鳥の一羽ごときでは腹の足しにはならない。  食いでがある獲物を求めて琥珀色の双眸が爛々と輝く。太陽が月に取って代わったように視界は鮮明さを増し、逆光に沈んだ人影ですらくっきりと浮かびあがる。  喉が鳴る。(ほふ)りやすくて、そのうえ瑞々しい肉の塊が自ら射程距離に入ってきた。 「どこにいるんだい、出てきておくれよ」  ひとっ跳びに輝夜に躍りかかった。組み伏せるのももどかしく、喉笛に口吻をあてがう。 「食、ぐわせろ、おま、おま、え」  獰猛さをあらわにした獣人にのしかかられているのだ。恐れおののき、敵わぬまでも死に物狂いになって抵抗するのがふつうの反応だ。  なのに黒々とした瞳に浮かぶものは混じり気のない讃美の色。さらに、毛むくじゃらの顔にうっとりと触れてくる。 「トパーズをちりばめたみたいな斑紋、真珠色の牙に堂々とした体軀。獣の姿のきみは、なんて綺麗なんだろう」    囁く声が玲瓏と、ひとりと、この場合は一頭のあわいをたゆたう。狩猟本能になかば蝕まれた理性に訴えかけ、それでも牙を嚙み鳴らして威嚇すれば、輝夜は頬ずりしてきた。  臓物を貪り食らい、生き血をすすりたい。舌も、喉も、胃の腑もひりつくような欲求が、急速に薄らいでいく。  輝夜が、ただただ愛おしい──純粋な想いが結晶のように残るとともにヴォルフのすべてを占めて、あわてて退()いた。豹の面相で助かった、と思う。でなければ慙愧(ざんき)に堪えないと語る、情けない表情(かお)をまともに見られていた。 「暗黙の掟を破って、惑わせて、ごめんよ。おれが、ちゃんと気をつけるべきだった」  獅子族の血を二分の一ひいている証しである、小ぶりのたてがみを梳きとられた。反省している証拠に尻尾を後肢(あとあし)の間に巻き込んで伏せると、ぽんぽんと背中を優しく叩かれた。  おどろおどろしく寄生木(やどろぎ)が絡んだ樹木も、魔界の入り口のごとき(いわや)も、月に磨かれて幻想美を漂わせる。耳欠け病のことも隠れ里のことも、しばし忘れて寄り添う。 「月の満ち欠けが生命活動に影響をおよぼす獣人は、神秘的な存在だね」  すんなりした指が豹の毛を撫であげ、撫でおろすにつれて、指づかいが別の意味を帯びはじめた。 「月齢十五……か。ジョイスとは一度も試したことがなかったことを、きみとは試したい」  語尾が情欲にかすれて、色香がくゆりたつ。衿をくつろげながら嫣然(えんぜん)と微笑むと、吐息で言葉を継ぐ。 「豹の強靭さにあふれた、きみが欲しくて躰が疼くんだ。濃厚なのを奥にたっぷりそそいでくれるよね?」

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