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第106話

「あんたは何があってもくじけなかった、堪え抜いた自分を誇っていい。俺を信頼して打ち明けてくれて、ありがとう」  ありがとう、と例え一万回繰り返し伝えても伝えきれないぶんを補って、アイデンティティの証したる豹の耳を捧げてもかまわない。実際にそうする代わりに、ひたすら抱きしめて魂を寄り添わせる。いつ、いかなるときも俺は味方だ、と温もりで包む。  さざ波が立つように、腕に震えが伝わってきた。輝夜は肩口に顔を埋めてきたっきり微動だにしないものの、目許が触れているあたりの布地が、だんだん湿り気を帯びていく。  恋する者の直感が働き、ひらめいた。凄惨な過去を塗り替えるには、百万言費やすより素晴らしい方法がある。  即座に躰をつないで、輝夜に影法師のごとくつきまとう哀しみを分かち合う。ヘドロのごとく心の底にこびりついて、あんたを苛みつづける過去の幻影を嬌声もろとも吐き出しちまえ。そうと示唆する意味で、激しく突きまくる。  打ち捨てられた畝の片隅に別の緑がある。誰にも顧みられることなく、それでも何世代にもわたって命をつないできた青菜のひとつだ。吹雪いても、(ひでり)にみまわれても、したたかに。  汚辱に満ちた境遇にあっても、へこたれず、しなやかに生き抜いてきた輝夜と同様に。  命の讃歌を歌いあげるように、土にまみれて貪り合った。嵐の一(いっとき)が過ぎ去ったあとで、輝夜は数ヶ月来、肌身離さず大切にしていた指環を鎖から抜き取った。穴を掘ると、惜しげもなく愛の形見を埋めてしまう。 「おい、なにをおっぱじめた。指環が肥料になるなんて聞いたことがねえぞ」 「おれは、これをつけておく資格を失った。放棄された耕作地は、いずれ森に返る。唯一無二の思い出を葬るのに、うってつけの場所だよ」  資格、と鸚鵡返(おうむがえ)しに呟いたところに手が差し出された。 「行こう。終着点になるにしても、通過点になるにしても隠れ里までもう少しだ」  手をつないで、夢の名残といった雰囲気を漂わせる開墾地を後にする。しばらく行くと、群れ立つ巨大な蕗の壁を透かして沢が見えはじめた。蛇行して流れる、その先には滝も。  しぶきに陽光が反射して水面(みなも)に虹が架かり、かたや隠れ里に通じるという洞窟の入り口は冥府へと至るように闇が澱む。  ヴォルフは、ぎゅっと手を握りなおした。ヒト狩りの脅威にさらされながらハネイム王国ですごした最後の数日間、輝夜は心臓を鷲摑みにされるような思いを事あるごとに味わったに違いない。同胞(はらから)とともに第二の人生を歩みはじめることができるなら、遠路はるばるやってきた甲斐がある。  獣人の自分はケンもホロロに追い返されるだろう。それなら、なるたけ近場に(いおり)なりと結んで、陰ながら輝夜の行く末を見守るまで。  行くぞ、と尻尾をひと振りした。

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