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第109話

 ふと弱気になっても次の瞬間、闘志が湧く。長年にわたって奈落の底を這いずり回っていたような輝夜にひきかえ、俺は考え方しだいでは英気を養う機会を得たにひとしい。  (おさ)にしても、ヒトの数倍力持ちの獣人という貴重な働き手をみすみす失うよりは、生かさず殺さず奴隷の身分でこき使うほうが得策と判断するはず。畑にでも引きずっていかれたら、しめたもの。輝夜をつれて即座に逃げる。  だが、どこへ……?   ハネイム王国に戻れば元の木阿弥だ。ならば漂泊の旅をつづけるのか? 輝夜ともども野垂れ死にするまで?  暇に飽かして眠るのも、尻尾の毛づくろいをするのも飽きた。すきっ腹を抱えて格子に寄りかかった。  端が欠けた月を睨む。月よ、良きにつけ悪しきにつけ獣人の肉体と精神に多大な影響をおよぼす月の魔力よ。今すぐ俺に、くそ忌々しい格子をぶっ壊すのに必要な膂力(りょりょく)をよこしやがれ。  と、忍び寄ってくる足音を捉えて豹の耳がひくりと動いた。獣人に情けは無用と強硬派が押し切って、いわば刺客が早速放たれたのだろうか。  咄嗟に狸寝入りを決め込んだ。愛している、と輝夜に告げそびれたまま()られた日には死んでも死にきれない。相手が刃物を手にふたりがかり、三人がかりで襲ってこようが、残らず返り討ちにしてやるつもりで拳を固めた。  ところが折りしも窪みにつまずいた人影が月明かりに照らし出されたとたん、跳ね起きた。 輝夜だ、輝夜がつんのめりがちになりながら駆け寄ってきた。 「催眠作用がある薬草の汁を水甕(みずがめ)に溶かしておいたのが効いて、みんな、ぐっすり。なかなか助けにこられなくて、ごめん」    刺青(いれずみ)を入れたように濃いクマに、甘やかにかすれた声。色やつれした風情が、この三昼夜、どんな目に遭わされていたのかを雄弁に物語る。  閉鎖的で、娯楽にとぼしい環境に暮らす里人が、とびきり美しい珍客を巡って色めき立ったことは想像に(かた)くない。現に月齢十九といえども鋭い嗅覚が、躰の奥深くに染みついた精の残り香を嗅ぎ取る。 「あんた、あの連中に……」  ほっそりした肢体が強張り、ひと呼吸おいて格子に手斧(ちょうな)をあてがった。 「臨機応変に、ちょっとね……今さら別に減るものでもないし」  ヴォルフは蔓が切り落とされるのももどかしく、頭や腕をこじ入れて、めりめりと隙間を広げていった。腹ぺこで足がふらつくが、檻を飛び出す。輝夜の肩に手を載せると、魂の底まで貫き通してみせるとばかりに瞳を覗き込んだ。 「減る。あんたは丸ごと全部俺のもので、俺も丸ごと全部あんたのものだ」

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