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第116話

 底がへこんだ鍋を石清水で満たし、燃えるように熱い額に載せた布切れがぬくまるはしから冷やして取り換える。あるいは薬草を釜で煎じ出す、というぐあいに輝夜はありあわせの道具を活用して、寝ずの看病をつづけていた。  だが闘い半ばにして、たびたび劣勢に立たされる。ヴォルフがあえぎあえぎ求めると、すぐさま握り返してくれる手は言葉では言い表せないほどの労わりに満ち、加えて命綱に等しい。のちに聞いた話だが手をつないでも、たちまちパタリと落ちてしまうあたり、限りなく死に瀕していたという。  その、今夜がヤマという状態に陥っていたころ、魂はトンネルとはまた別の場所をさまよっていた。そこは、()の春の夜に輝夜と出逢った霊廟のそばだ。  輝夜に反感を抱いたあの夜とは違い、彼の足下にひざまずいて愛を乞う。心残りが、この世につなぎとめる錨であるかのように。  夢の通い路は、あちらこちらへとつづいている。舞台が花園へと一変した。咲き乱れる花々をかき分けて進んでいくと、轟々と逆巻く川の向こうにジョイスの姿を見いだした。  吊り橋が架かっていた。綱は腐り、ところどころ橋床が剝がれ落ちているが、ヴォルフは一も二もなく駆け渡った。  ところが向こう岸を踏むまぎわに、透き通った壁に弾き返された。  ヴォルフは拳で壁を叩き、するとジョイスが空中をすべってやってきた。生母を(こと)にしていても面差しの似た顔には、やるせなさと懐かしさない交ぜの微笑がたたえられていた。  ──ハネイム王国の栄枯は、おまえの双肩にかかっている、頼むぞ。それから愛する弟に大切な男性(ひと)を託す。俺が叶えられなかったぶんも末永く幸せにな……。  任せておけ、と尻尾が縦一文字の軌道を描いた。えぐるように胸を引っかいて、にじんだ血をインクに心臓の上に〝ヴォルフ・リュタニル=ラヴィア〟と綴る。  豹族に伝わる誓約の儀に対して、ジョイスも同じ仕種で応じるさまがおぼろに霞んでいき、やがて消え果てた。 「み、ず……」 「喉が渇いたんだね、今、あげるからね」  白湯が口移しでそそぎ込まれる。喉仏が上下したのを見定めて、さらにひと口。  元はただの石清水にすぎないそれには無償の愛という成分が含まれていて、旱天(かんてん)の慈雨さながら、病み衰えた身に染み渡る。  荒い息づかいが、ほんの少しだがマシになった。じっとりと汗をかいているにもかかわらず、かさついている肌にもわずかながら潤いが戻った。

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