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第117話

 月が姿を消す(さく)を経て、月影が夜ごと鮮明さを増していく。  獣人にとっては養分を補給されたも同然だ。〝生〟への執着心が強まり、死の(あぎと)から逃れようともがく。新陳代謝が活発になるのにともなって、しなびて皺ばんでいた耳が丸みを帯びはじめた。  錦繡(きんしゅう)をまとっていた山は、ひと雨ごとにくすんだ色合いへと装いを変える。山颪(やまおろし)が吹き荒れた翌晩、冬の到来を告げる使者のように木から木へと滑空するムササビの姿が、皓々と照る月に映し出された。  一条の月明かりが、矢を放ったように坑道に射し込んだ。その瞬間、体内時計が起床時間を告げたように、ヴォルフはぽっかりと目を覚ました。  寝起きはいいほうで、日ごろは即座に寝床を離れる。ところが四肢にうまく血が通っていない感覚に悩まされ、そのうえ記憶に空白が生じている。  橙色(だいだいいろ)の何かがちらつき、横たわったまま視線をずらしていくと、それは一斗缶の中でちろちろと燃える(たきぎ)だ。  炎の舞をぼんやりと眺めているうちに、頭がまともに働きだした。細切れに憶えている情景をつなぎ合わせていって、そうか、と思う。森の中で昏倒してからこっち、俺はうんうん唸りどおしだったのだ。  いきさつを思い出したということは、曲がりなりにも峠を越えたということか。自分へ向かって拍手を送り、すると肩がくすぐったい。  黒髪が扇形に広がり、輝夜が傍らで丸まっていた。ひやり、とした。耳欠け病はヒトに伝染(うつ)らないとする説が有力だが、絶対とは言い切れない。  穏やかな寝息が静寂(しじま)に溶け入って、ホッとした。つきっきりで看病してくれているうちに睡魔に襲われたと、おぼしい。  ヴォルフが息絶えてしまったら、また独りぼっちだ──打ち消しても打ち消しても不吉な想像が膨らんで、さぞかし心細い思いをしていただろう。  愛おしさで胸が一杯になった。艶やかな黒髪をひとふさ梳きとり、思いの丈を込めてついばむ。げっそりと()けた頬にも、そうした。  つと嗚咽が洩れ、口を真一文字に結ぶ。もしも死神につれ去られることがあれば、問答無用で大鎌をへし折って黄泉路を駆け戻る。そして開口一番、輝夜に気持ちを伝えて、夢の中でジョイスと約束した通り、輝夜と添い遂げてみせる。

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