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第118話

 起きあがるとくらくらして、休み休み一斗缶ににじり寄って薪を()べ足す。完全復活には至らないものの、体調は上向きだ。  耳は……ハゲちょろだが変形するのを免れたのだから御の字だ。後遺症のひとつやふたつ、最悪、輝夜と死に別れていたことを思えばかわいいもの。のみならず生命力の強さを発揮して、 「腹が、へった……」  坑道は構造上、音がよく響く。こだましつづける独り言が、輝夜を現実へと呼び戻す。蝶が(はね)を広げるさまを思わせて、長い睫毛が震えた。やがて真っ赤に充血した目が瞼の間から覗き、無精髭が伸びたむさ苦しい顔に焦点が定まったせつな、朱唇が驚愕もあらわにわなないた。 「ヴォル、フ……?」  うわずった声に複雑な胸のうちが凝縮されていた。輝夜は、願望が生み出した幻を見ているのでは、と糠喜びに終わるのを恐れているふうだ。あるいは、たまたま小康状態にあるときに騒ぐのは厳に慎むべき、と自分を抑えているのかもしれない。  それでもヴォルフが尻尾の毛づくろいに励んでいるさまは現実の出来事なのか確かめたい、という誘惑に抗いきれなかったのだろう。おずおずと豹の耳に触れる。  ヴォルフはふと悪戯心をくすぐられて、 「あああ、耳があ、もげるう」  大げさにのけ反ってみせた。もっとも照れ臭さが先に立って、迫真の演技には程遠いが。  だが、輝夜はあっさり引っかかった。あわてて額と額をくっつけて、熱を測る。数日来、炎天の日向並みに熱かったのが、今は秋の陽だまりといった程度だ。その時点でお芝居だと気づいて、案じ顔が泣き笑いにゆがんだ。 「ヴォルフ、よかった、ヴォルフ!」  ちょうど膝立ちになったところに抱きついてこられて、折り重なってひっくり返った。  固く抱き合った。おいおい泣いて、さめざめと泣いて、危機を乗り越えたことを祝う。  あくる日の昼下がり。ぱちぱちと薪が爆ぜて、まったりした空気が流れるなか、輝夜は葛湯を掬ったスプーンを口許に運んでくれながらこう言った。 「素人考えだけどね、耳欠け病には二種類あると思うんだ」  ヴォルフは殊更ぶすくれた顔つきを保って口をあけた。寝込んでいた間はともかく、など沽券にかかわり、その反面、甘やかなやりとりは満更でもない。  現に二口目は進んで迎えにいった。食欲旺盛なところをみせると輝夜が笑みを深めるから、猫舌にもかかわらず、火傷するのは必至のやつをがっついてしまう。

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