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伊勢ちゃんを嫉妬させたい
「わ、びっくりした。え、ここでずっと待ってたんですか?」
「……そーだよ」
「まじすか、寒かったでしょすいません」
終了予定時間からきっかり一時間後、体育館から出てきた伊勢ちゃんは寒空の下でもほどよく上気した表情をしており、それだけで本日のサークル活動が充実したものだと語っていた。そして隣には、相も変わらずヘラヘラ顔の気に食わない後輩が一名。
「あー、お疲れさまです高岡さん」
「……おう」
「伊勢さんもお疲れ様でしたー、また次も『アレ』してくださいね、伊勢さんとするの楽しみにしてますから! お願いしまーす!」
「はいよ、お疲れ」
黒部が手を振りながら立ち去っていくと、寒い空気が一層強く吹き抜けた。子ども騙しな罠のような『ソレ』にも、自ら足を突っ込みたくなる。
「アレ、って何。何やってたのこんな時間まで」
「え? 次の試合の戦略会議ですよ。あいつ次期部長なんですげー張り切ってて。相手チームの情報教えたりしてました」
「二人っきりで?」
「まあ……そうですけど。っていうか待ってるなら連絡くれれば途中で切り上げてきたのに」
「……知るかよ、普通に練習長引いてるんだと思ってたんだよ」
練習後の火照った体でふたりきり、その事実だけで十分面白くない。そんな俺の子どもじみた嫉妬心を何度も目にしている伊勢ちゃんは、俺の懐柔方法をすっかり理解しているのだった。
「寒い中待たせちゃってすみません、あったかいもの食べたくないですか? ラーメン食いに行きましょうよ」
俺の冷たい指先を包むように両手で挟み込んで、湿った吐息で温めながらお誘いの言葉。伊勢ちゃんの息を感じた指先はじわっと熱を帯び、心までも一瞬で解きほぐす。俺がやれば「こんなとこでやめてください」と嫌がられて怒られるような技さえ、伊勢ちゃんは使いこなすようになっていた。勝てるわけがない。しぶしぶ頷いてラーメン屋を目指した。
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「魚介とんこつのチャーハンセットひとつ」
「……ギョーザ食いたいって言ってませんでした?」
「あ、そうだ。ギョーザ一枚」
「普通のとキムチがあるらしいすよ」
「あー……じゃあキムチのやつ一枚」
「5個入りと10個入りがあるみたいですけど」
「えー……どうしよっかな……伊勢ちゃん食う?」
「じゃあキムチギョーザ10個入り、一つお願いします」
学校近くのラーメン店に移動し、のれんをくぐると外気とはまるで違う脂の匂いがする熱気に迎えられた。温度差に面食らう俺の耳に、アルバイト店員のいらっしゃいませはキンキン響く。ぼんやりとしたまま曖昧に注文を進めていく俺を、的確にサポートしてくれる伊勢ちゃんはまるで内助の功。
「あと背脂チャーシュー麺の大盛り、天津飯セットと単品の梅レタスチャーハンください」
「お前しっかりしてんなー……」
「いやアンタがぼーっとしすぎなんですよ」
褒めたつもりが、間髪入れずに軽やかな切り返し。あまりにキレのいい言葉だったためか、伝票にメニューを書き込んでいた男の店員が、ふは、と軽く息をもらした。
「すみません、失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
眉を下げ、困ったような笑い顔のまま、店員は軽く頭を下げて立ち去っていった。
「ちょっとお、高岡さんのせいで笑われちゃったじゃないですか」
「微笑ましいやりとりしてたからじゃねぇの」
「なにが微笑ましいんですか、ただのバカの会話ですよ」
「それにしても店員、可愛い子だったな」
俺たちと同い年か、それより少し下くらいだろう。伊勢ちゃんと同じように黒くつややかな髪で、肩幅はしっかりしているけれど足腰は引き締まっている。他の店員のように耳に痛い大声でないのも高ポイントだし、はにかんだ時の表情が幼げで、ただかわいいなあ、と思ったから言った、それだけだ。
「……そうですかあ? 別にフツーじゃないですか。むしろちょっとナヨナヨしてるし。ほんと高岡さんの好みよく分かんねぇわ」
その返事に、おや、と思った。
「お待たせしましたー、キムチギョーザです」
「あ、ありがとうございます」
ギョーザを運んできたのは同じ店員さんだった。皿を受け取って感謝の言葉とともに笑いかければ、同じくにこやかに笑顔を返してくれる。ごゆっくりどうぞ、と言って立ち去るときも、やはり心地よい声色だった。
「はい、キムチギョーザだよ」
「知ってますけど」
「伊勢ちゃんたれ使う? 俺このまま食おうかな」
「俺ギョーザいらないです」
「え、要らないの? あれ、そう言ってたっけ?」
「別に食欲ないんで」
「まじかよ、じゃあ5個入りにすれば良かったじゃん」
「知りませんよ、責任持って食ってください」
注文したのお前だろ、と言いたくもなるけど我慢する。心底つまらそうにスマホをいじり出す目の奥に隠れている感情が明白なとき、こんなにうれしいものなのか。互いにむっつり黙り込み、周囲からすれば殺伐とした食事風景だろうが、俺はにやける顔をこらえるためにギョーザを口に詰め込むのだった。
「お待たせいたしました、魚介とんこつチャーハンセットです」
「あ、どうも。受け取りますよ」
「すみませんありがとうございます。重いですよ?」
「このくらい大丈夫ですよ」
やっぱり同じ店員だった。そのままテーブルに置いてもらえばいいものを、無意味に手を伸ばして受け取ってみると、伊勢ちゃんがぴくりと顔をあげてその様子を見たのが分かった。続いて伊勢ちゃんの前にラーメンが置かれたとき、伊勢ちゃんの「……どーも」はため息ほど小さかった。
「よし食お、伊勢ちゃん箸ある?」
「……あります」
「いただきまーす、伊勢ちゃんのもうまそうだね」
「……」
「あ、俺のこれすげーうまいわ。一口食う?」
「……」
「つーかこの店暑いな。入ったときはちょうどいいと思ったけど、メシ食い始めると一気に暑いわ」
「……」
「よく見たら店員も皆半袖だもんな。さっきの子、細いけど二の腕の筋肉結構あるな」
「……」
「かわいい顔してる細マッチョってヤバイよなー、なんかスポーツやってんのかな」
「……なよ」
「えっ?」
無表情のまま麺を飲み込んだ唇から意志を持った言葉が漏れる。限界が、こんなに早く訪れるとは思わなかった。
「俺じゃない奴のこと、かわいいとか言うなよ」
勝手ながら俺の計画では伊勢ちゃんはもっと耐えて耐えて長く我慢して食事を終えて帰路についてもまだ黙り込んだままでいて、でも嫉妬していることは隠し通そうとしていて、俺は何も気づかないふりをしてどうしたの伊勢ちゃん、としらじらしく声をかけたりして無視されて時には暴言も吐かれたりして、それでも分からないふりを続けて伊勢ちゃんが耐え切れなくなったころ、ごめんね店員のことかわいいとか言ったりしてごめん嫉妬してほしかっただけなんだよ本当ごめんね、と謝って、伊勢ちゃんはきっと簡単に許してくれないだろうから何度も何度も謝って、そもそもあの店員がかわいく見えたのも伊勢ちゃんに似てると思ったからだし、伊勢ちゃんがタイプなだけだから伊勢ちゃんだけだから、とかなんとか言い訳を並べながら爪の先までじっくり甘やかす、もしくは何勝手に勘違いしてるんですか別に怒ってないですけど、ととぼけようとする伊勢ちゃんをやや強引に布団へ誘い込んでじゃあ怒ってないって証明してよ、とねだる。
そんな、緻密で稚拙なおれのけーさんが、拗ねた声にかき消される。このパターンに対応する計画は立てていなかったので咄嗟の言葉が出ず、うつむいて肩を震わせることしかできなかった。すると机の下で足を蹴られた。
「何笑ってんすかしね」
「や……ごめ、ごめん。だ、だって……」
「爆笑じゃんほんとなんなの、俺分かってるんですからね黒部と一緒にいて待たせた分の仕返しだって」
「……え、いや、そんなことないよ。ただかわいいなと思っただけ」
「あ、ほらまたそうやってさっきの店員のこと――」
「ちっちゃいことで嫉妬してくれる伊勢ちゃんがめちゃくちゃかわいいからいじわるしちゃっただけ」
自分でも手に負えなくなるほどの愛情と執着に阻まれて混乱したり、稚拙な言動で自分自身に呆れ果てたり、そういう情けない状態の伊勢ちゃんが見たいよ。想像するだけで可愛くて笑っちゃうし、いっぱいいじめてあげるくらいしかできないけど。
伊勢ちゃんは「この店暑くないですか」と服を脱ぎはじめ、強引に話を断ち切った。赤い頬に触るための新たな計画を企てていたから、またぼんやりとした返事を返してしまった。
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