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モブ女子目線のたかいせ
わたしには最近、気になっている人がいる。その人は、いつも陽気で笑顔がかわいい。フットサルサークルの友人を介してほんの少しだけ距離を縮められたけれど、好きなもの嫌いなもの、そして恋人の有無など分かり合うほどには近づけていない。
なので、勇気を出して距離を縮めてみよう、と考えました。
「伊勢くんあのね、良かったらこれからごはん行かない?」
「え、ごはん……?」
授業終わりの彼を捕まえ誘ってみたものの、彼はあからさまに困惑していた。
「あ、ごめん。バイトとかある?」
「いや……ちがうんだけど……」
「い、伊勢くんいつも忙しそうだけど、一回くらい付き合ってほしいなあ、なーんて」
「んー……んー……」
「あ、でも、無理だったらぜんぜん」
「……今日、先輩とメシ食うことになってて」
「あ、そ、そっか」
「一応、その先輩に確認してみる」
そして去っていった伊勢くんは、数分ののち小走りに帰ってきた。足音に気づき振りかえると、背の高い男の人とともにこちらへ向かってきている。遠くからもじっとわたしに視線を飛ばしているのは、学内でよく伊勢くんと一緒にいる人だった。
「どうも、高岡です」
「あ、は、はじめまして……」
会釈され、わたしも同じように頭を下げる。タカオカサンとの接点なんて伊勢くんと一緒にいるところを一方的に見たことがある、という程度で、話すことも向き合うことも初めてだった。いつもなんとなくまとっている気だるげな雰囲気は伊勢くんとは対照的で、接点もなさそうなのに二人はいつも仲がよさそうだ。伊勢くんはわたしたちの挨拶を見守りながら口を開いた。
「先輩も一緒で良かったら、行けるんだけど……」
「あ、いいよいいよ!」
断られるとばかり思っていたし、「先輩」とあいまいな言葉をつかって彼女を呼んでくるのかもしれないと思っていたので、どちらとも違った結果に胸が躍る。
「じゃあどこ行く?」
「あ、わたしね、ここいいかなって思ってたんだ」
「ん?」
「生パスタのお店なんだけど、メニュー豊富で、スイーツもあるしお酒もあるし! どうかなあ?」
スマホを取り出し、あらかじめ調べておいた店情報を見せる。しかし伊勢くんは返事に困っていた。
「んー……」
「あ、ごめんパスタ苦手だった?」
「いや、そんなことないんだけど、正直財布的にちょっと……」
「あ、そ、そっか。そういうことあんまり考えてなかった、ごめん」
「いやこっちこそごめん……」
「もし良かったらわたし出そうか? わたしが誘ったんだし……」
「いやいやいや、それはさすがに申し訳ないしかっこ悪いから大丈夫!」
「いやでも!」
解決しない応酬がはじまりかけたとき、それまで黙ってわたしたちのやりとりを見ていたタカオカサンが口を開いた。
「別に色気づく必要もねぇし、ふつうにファミレスとかでいいんじゃない?」
「あー……正直そっちの方が助かりますね」
「あ、うん。それじゃあ……」
そしてわたしたちは学校近くのファミレスに向かった。ディナータイムにはまだ少し早い時間のためか、店内は混雑しておらずすぐに隅の広いソファ席へ通された。伊勢くんの隣には、ごく自然にタカオカサンが腰を下ろし、手に取ったメニューを伊勢くんへ見せた。
「伊勢ちゃん何食うの」
「んっとー、肉か、肉」
「肉しかねぇだろそれ」
「あっちょっと自分のペースでページめくんないでくださいよ!」
「えーいいじゃん、肉以外のページも見たい」
隣同士に座った伊勢くんとタカオカサンは、肩が重なるくらいに距離をつめて、ぎゃあぎゃあとひとつのメニューを覗きこんでいる。
「わたし、メニュー決まったんでこっちのメニューつかいますか?」
「いや大丈夫です」
窮屈ではないかとメニュー表を差し出したが、タカオカサンに顔を上げることすらなく断られてしまった。
しばらくして注文を終えると、店員さんが「ドリンクバーはご自由にお使いください」と定番の台詞を残して去っていった。すぐに、伊勢くんがタカオカサンのシャツをくいくいと引っ張る。
「俺、アイスティー」
「持ってこいってか」
伊勢くんの甘えるような仕草に、タカオカサンは呆れたように笑っている。わたしはすかさず立ち上がった。
「あ、わたしついでに持ってくるね!」
「え? あっごめんちがう! 俺は高岡さんに言ったつもりで……」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
ドリンクバーコーナーに向かう途中、テーブル席を隔てた別のルートから早足で同じ方向へ向かうタカオカサンを見かけた。わたしがようやくグラスに手を伸ばすころ、タカオカサンはすでに二つのグラスにアイスティーを注いでいた。
「あ、それ伊勢くんの分ですか?」
「そうです」
「なんていうか、高岡さんって伊勢くんと仲良いんですね」
「そうですね。すごくいいです」
タカオカサンの口調は静かで丁寧でありながら、同時にあるひとつのラインを越えさせることのない絶対的な力を備えている。どうにか仲良しの輪に入れさせてはもらえないものかと、わたしはコップに氷を移しながら下手くそな話を続ける。
「伊勢くんとどうやって仲良くなったんですか?」
「なんですかねぇ……」
「わたしも伊勢くんと仲良くなりたいんですけど、なかなか共通の話題とか見つからなくて、むずかしくって……」
「あー俺の場合は共通の話題も色々あったし伊勢くんのほうから声かけてくれたんで参考にならないかもしれないですねー」
きっぱりと言い放ったタカオカサンは、オレンジジュースを注ぐわたしを待つこともなくふたつのグラスとストローを持って去っていく。わたしはとっさに背中に声をかけた。
「あ、ガムシロップとミルク忘れてますよ」
タカオカサンが、ゆっくりと反応する。
「……伊勢ちゃんいっつもストレートなんです」
振りかえった表情は、こわいくらいに穏やかな、はじめて見る笑顔だった。
注文した料理がテーブルに並び、少しでも伊勢くんと距離を縮められるよう会話の糸口を探す。しかし多くの場合タカオカサンと伊勢くんとでふざけたやりとりをしたり、二人の共通の話題に落ち付いたりしてしまう。深く踏み込むタイミングは、やはりつかめないまま。
耐えかねて、何回目かにタカオカサンが「伊勢ちゃんさあ」と言ったタイミングで、強引に割り込んでみた。
「そういえば伊勢くんって、いつも伊勢ちゃんって呼ばれてるの?」
「あ、うん。そんな呼び方すんの高岡さんだけだけど」
「なんかかわいいあだ名だね、わたしもそう呼んでいい?」
馴れ馴れしい提案だろうとは思いながら、距離を縮めたい一心で言い切る。するとすかさず、タカオカサンが口を開いた。
「いや、本当はそう呼ばれんの嫌なんだよな? 伊勢ちゃんって呼ばれるとむかつくからあんま呼んでほしくないんだよな?」
「……え? そうなの? 伊勢くん」
伊勢くんは、うつむくように頷く。
「あ、まあ……」
「なんで高岡さんは伊勢ちゃんって呼んでるんですか?」
「あー俺はからかってるだけだから」
「へー……?」
なんだか、タカオカサンがまとうバリアが一層厚くなった感じ。その上伊勢くんまでバリアの内側に引きずりこまれたような感じ。いや、ひょっとすると伊勢くんははじめからそこにいたのかもしれない。しかし、あいかわらずうつむいて付け合わせのコーンを黙々と口に運ぶ伊勢くんに、真偽を問うことはできない。
食事が落ち着くと、ふいに伊勢くんが立ちあがった。
「ちょっとトイレ」
「あー俺も行こ」
「……ここの男性用トイレいっこしかないですよ」
「うん知ってる」
そして二人は、連れ立って行ってしまった。
一人になるとテーブルの下でスマホを開き、友人に現状の連絡をする。友人たちが好き好きに送ってくる「よかったね」「がんばれ」「いけ」「告れ」などのコメントに煽られ、微かな緊張が湧きあがった。
帰る前に「またご飯たべにいかない?」と言うつもりでいたけれど、伊勢くんは思っていたよりも鈍感そうだし、次の機会にも先輩に同席されたら困ってしまう。もう言ってしまおうか、告白しようか、どうしようか。
伊勢くんたちが帰ってくるのは遅かった。
「おかえりー」
「た、ただいま……」
ようやく帰ってきた伊勢くんは、なぜかげっそりしたような、しかし高揚もしているようなふしぎな表情をしている。
「伊勢くんどうしたの?」
「え!? なにが!?」
「なんか……」
「あっなんか店混んできたねそろそろ出よっか!」
どことなく感じた違和感を言葉にしようとしたところで、伊勢くんが突然腰をあげた。慌ただしく伝票をつかむ仕草はその違和感を膨らませるばかりで、わたしはその不思議な感覚に急かされるまま店を出てすぐ伊勢くんの裾をつかんだ。
「あの、伊勢くん」
「うん?」
「ちょっとだけ、ふたりでお話いいかな」
「おい伊勢ちゃん、すぐ帰らないと時間やばいだろ」
「あ、はい……」
「お願いです、ちょっとだけ。時間とらせないから」
困った顔の伊勢くんとタカオカサンの助け舟は、その先にあるわたしの思惑に気がついていること、さらにはそれに対する伊勢くんの返事までもを示唆していた。引きさがることはできずに、強引に伊勢くんを近くの人のいない路地に連れていく。
「ずっと好きでした。いますぐ付き合ってくださいとは言わないので、これから遊んだり、連絡したりできればいいなって思うんだけど……」
「……ごめん、俺付き合ってる人いるから」
「……うん、それでも、たまにご飯行くだけでもいいから」
想像していた通りの回答に、ごねるつもりで口を開きかけると、伊勢くんの続く言葉がそれを制した。
「あとおれの、……こいびとが、すっ……げー嫉妬深いから。たぶん殺されちゃうよ」
「え、伊勢くんが?」
「うん。そっちもね。まとめてぶっ殺されるんじゃないかな」
「え、怖い……」
「そうだね。こわいかも」
「……伊勢くんは、そんな人と付き合ってて、楽しい……?」
「うん、楽しいよ」
「そ、そうなんだ……。相手の子、かわいいの?」
「あー……うん、そうかも。かわいいかも」
「かも……?」
「いや、めっちゃかわいいよ。あんなかわいい人いないと思う」
「そう……」
「俺はその人傷つけたくないから、だから、ごめんなさい」
「……わかった。話してくれてありがとう」
いつになく力強い語気に結局ごねる計画も破綻し、諦める以外の道はふさがれてしまう。伊勢くんには困惑も高揚もなく、すっきりした顔をしていた。
「その人とは付き合い長いの?」
「いや、大学で知り合って……」
「そうなんだ。そんなに嫉妬深い子なら、今日みたいにご飯行ったってだけでも怒っちゃうんじゃない?」
「ああ……そうかも……怒ってるね」
「その子とは休みの日にも会ったりするの?」
「んー、ていうより一緒に住んでるからなあ」
「へえ、そうなんだ。どこらへんに……」
「いや、もういいでしょ、恥ずかしくなってきた」
伊勢くんは頬をじんわりと染めながら、悔しいときのように唇を噛んでいる。店の前でたばこを吸っていたタカオカサンのところへ戻ると、やっといつもの表情に戻った。タカオカサンの前での柔和な表情こそ、わたしが惹かれた表情そのものだった。
帰りはJRだと伝えると、ふたりは駅まで送ってくれた。改札前の雑踏の中でお礼を告げ、そのまま解散かと思ったが、タカオカサンはくるりと背を向け伊勢くんに声をかけた。
「じゃ、行くか伊勢ちゃん」
「あれ……? 二人は家、同じ方向なの?」
その様子はあまりに自然で、自然すぎたためにかえって違和感をかきたてたのだ。タカオカサンは普段通りの眉ひとつ動かない無表情でさらりと言った。
「同じ方向っつーか、俺ら同じ家に住んでるから」
三人のあいだに奇妙な間が生まれ、駅の雑踏が三人の隙間をゆらりと抜けていく。わたしと伊勢くんは、その言葉がいかに重要かほとんど同時に気づいたのだと思う。
「た、高岡さん! ……ご、ごめんもう帰るねじゃーね!」
「あ、うん……気をつけて……」
伊勢くんは強くタカオカサンの名前を呼んだ。親が子供の身勝手を責めるように。そのあとわたしに向き直り早口で別れの挨拶をまくしたて、タカオカサンの背中を押しながらそそくさと帰ってしまった。タカオカサンは何も知らない様子で、しかし悠然とした気配を保ち、当たり前のように伊勢くんと歩幅を合わせ、同じ家へと帰っていく。
付き合っている人、嫉妬深い人、自分だけの呼び方、アイスティー、すごく仲がいい、トイレの個室はひとつ、伊勢くんは恋人と一緒に住んでいる、高岡さんは一緒に住んでいる相手。
点在する違和感がひとつの結論に集約されていく。
「……え?」
情けない独り言を呟いたときはすでに、ふたりの背中は闇に溶けた後だった。
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