2 / 8
第2話
牧人は飲み終えたティーカップを机に置き、隣で項垂 れるヒューマノイドの横顔を窺った。
二十年経った今でも変わらない、美しい造形。
ブロンドの髪は緩やかなウェーブが掛かり、形の整った眉の上で、短く切りそろえられている。
蒼い瞳は憂いを帯びて、その目元にある小さくほくろがまた、何とも言えない色気を醸し出している。
言葉にしたことはないが、牧人 はジークの顔を見つめる度、内心ではこの美しさにはいつも見惚れていた。
しかし牧人は浅霧家次男。長男ほどでないとはいえ、一族の血を継ぐものに変わりはない。いずれは名家の令嬢あたりを妻として、家庭を築くことを牧人の両親も望んでいる。
そんな立場の人間が、まさか人間ですら無いヒューマノイドに惚れ込んだとあれば、大問題。
……最悪、俺を人間と結婚させるためにジークをスクラップ、なんて話にもなりかねない。
それだけは避けねばならないと、牧人はこの二十数年間、いつも隣にいる愛しい存在への気持ちを、伝えられずにいたのだ。
それなのに、このバカ執事ときたら──
「……馬鹿なのか、お前」
少し不機嫌に言うと即座に、彼の美しい蒼の視線が、こちらを射止めてくる。
「俺が何年お前といると思ってる。──良いか。お前がこの家を……俺の傍を離れるのは、俺が死んで一緒に墓に埋められる時か。もしくはお前が万が一何かの事故にあって、修理不可能になった時。そのどちらか以外ありえない」
「牧人……様」
ヒューマノイドは涙を流さないが、今のジークの顔は紛うことなく、泣いた人間のそれだった。
「だから何でも話せよ。仮にお前が人を殺してたって、俺はお前を手放さない。……最初に会った時から決めてんだ、もっと自分の主人を信頼しろよ」
「……はい、分かりました。それでは──」
一つ咳払いをして、ジークが背筋を伸ばす。彼が緊張した時の、昔からの癖だった。
「……実は今も、コアが温かく感じているのです」
「はぁっ!? 何で黙ってんだよ、そんな大事なことはもっと早く言……」
「牧人様と二人きりになると! ……私のコアは何故か、物理的には何もなっていないにも関わらず、温まり始めるのです。……でも、それが何故なのか、私には全く見当がつきません」
言い終えたジークは再び俯くと、己を戒めるかのように、膝の上で拳を握り込んだ。そのあまりの力に、拳を形づくる金属パーツがカチカチと悲鳴を上げている。
牧人はどう返答したものか、しばらく悩んでいた。返答次第によっては、今隣で孤独に震えるパートナーを、深く傷つけることになりかねないと思ったからだ。
数秒の沈黙。……ふと、牧人は知人から聞き齧った、とある話を思い出した。
「……本当かどうかは、定かじゃないんだが」
噂話程度に覚えていたので、仕舞っていた記憶の引き出しを見つけるのに、少々時間が掛かった。
「『人間を愛したヒューマノイド』ってのが、いるらしいな」
主人の口から紡がれた言葉に、ジークの瞳が大きく見開かれる。
「あー、……お前のその……ぽかぽか? ってのが、恋愛とかそういう時に感じるのと同じなのかは、断言できないが。……えーっと、実はだな」
動いたのは、牧人だった。
「理解されないだろうと思って誰にも言ってなかったが──実は俺も、ジーク……お前といると『ここ』が、うるさくてどうしようもなくなるんだ」
そう言って、ジークの耳部分へ自分の胸部を押し当てる。
牧人の心臓は今、本人でも分かるくらいにドクドクと、激しく脈打っていた。
「牧人様の鼓動……朝のバイタルチェックの時より、脈拍数が多いです」
「ああ。これが人間で言う『ドキドキする』ってやつだ。お前はどうなんだ? ぽかぽかとか、温かいとか言ってたけど、もしかして……体感的に違うだけで、実は同じ気持ちなんじゃないか?」
「牧人様が私と……同じ、気持ち──?」
ゆっくりと、飲み込むようにジークが反芻する。
そして顔を上げたかと思うと、再びジークが牧人へ抱きついた。
「……あの、私にこうして触れられるのは……貴方にとって、不快ではないのですか」
「あぁ。……今までは恥ずかしくて拒んでたけどな。お前が同じ気持ちなら、寧ろもっと……触りたいし、触られたい」
「牧人、様……」
屋敷の二階。静かだからという理由で、人通りの少ない部屋を書斎に選んで良かったと、牧人はこの時心の底から思っていた。
「……ジーク。俺が人間の愛し方、教えてやるよ」
ともだちにシェアしよう!