9 / 83

第8話

波が引くように、辺りはしんと静まり返った。 重苦しい沈黙が、皆を包み込む。 各々の呼吸の音まで聞こえてきそうだ。 それを打ち破ったのは、雄河だった。 「何を言っているのか分かっているのか?君と春樹は、義理とは言え兄弟なんだぞ?」 嫌悪感(けんおかん)を隠そうともしないその態度に、しかし蓮人はあくまで平静を保って、 「私と春樹さんは血液関係はないので、何ら問題はございません。むしろ幼い頃より生活を共にしている者同士、お互いを知り尽くしているので、好条件かと思われます。華道家としても切磋琢磨してきた仲なので、良きパートナーになれます」 「ハッ!馬鹿げたことを。剛健さん、美代子さん。彼は若いがゆえに暴走しているだけです。こちらの話を進めましょう」 雄河が一笑に伏そうとするのを、今度は美代子が制した。目を細め、普段どおりの穏やかな口調で、 「ずっと春樹のこと、想っていてくれたの?」 ハッとして、目を(みは)った。 思わず春樹の方に視線を向ける。 彼は相変わらず愕然(がくぜん)とし、夢の中にいるかのようだった。 当たり前だ。 長年苦楽を共にしてきた、心底可愛がってきた『弟』から、結婚を申し込まれたのだから。 その胸中(きょうちゅう)を想像すると、そこはかとない罪悪感(ざいあくかん)が押し寄せるが、でも。 「はい。ずっと春樹さんを、お慕いしておりました。誰よりも愛しています」 はっきりと、一言一句に想いを込めて、告げた。 まさかここまで断言するとは思っていなかったのか、雄河がゴクリと息を呑むのが分かった。 春樹は相変わらず状況を把握(はあく)出来ていないようで、虚空(こくう)を見据えている。 剛健はふぅ、と大きく息を吐き、 「だ、そうだ。春樹。お前は、どうしたい?」 「……お、俺……そ、の……あの……」 上手く言葉が出てこない春樹の背を、傍にいた雄河が嫌らしく撫でた。 途端に蓮人は目付きが鋭くなる。 それを横目に、雄河はこれ見よがしに、 「正直に言っていいんだ。急に『弟』を恋愛対象として見るなんて、無理だろ?、ちゃんと断った方がいい」 「蓮……人の……為……?」 (余計なことを……!) さりげなく雄河が春樹を懐柔(かいじゅう)しようとし、つい気色(けしき)ばみそうになったところに、剛健の厳粛(げんしゅく)な声が響き渡った。 「分かった。ではこうしよう。華道家らしく、雄河くんと蓮人くんには作品で勝負してもらう。勝敗のつけ方は長谷川家や外部とも連携し、公平を期すようにする。勝利した者が、春樹と婚姻を結びなさい」 思いがけぬ発案に、蓮人は暫し思考が停止してしまったが。 これは最善の策かもしれない、と思った。 全てを春樹に委ねるのは酷過ぎる。 自分はともかく、雄河を正面切って断れば、長谷川家との関係が(こじ)れ、更には逆上して何をされるか分からない。 恐らく剛健は、蓮人が勝利すると見込んでいるのだろう。 春樹がいずれの選択をするにしても、一番穏便に済むに違いない。 意図を汲み取った蓮人は、 「かしこまりました」 と直ぐ様(こうべ)を垂れた。 剛健は深く頷き、次に雄河と目線を合わせ、 「雄河くん、どうだね」 「……、……かしこまりました」 雄河だって腐ってもプロの華道家だ。 勝負を申し込まれたら、受けてたたねば沽券(こけん)にかかわる。 不満げに口を尖らし、渋々ながらも引き受けた。 剛健はようやく顔を(ほころ)ばせ、 「では、雄河くん。詳しい話を別室でしよう。……春樹と蓮人はここで、ちゃんと話しなさい」 「そうね。貴方達には、その時間が必要よ」 美代子も賛同し、三人は部屋を後にした。 雄河は出る直前まで、蓮人を睥睨(へいげい)していた。 だが、そんなものはどうだっていい。 今は、ただ。 「……春樹さん……」 最愛の人と、向き合うだけだ。

ともだちにシェアしよう!