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第8話
波が引くように、辺りはしんと静まり返った。
重苦しい沈黙が、皆を包み込む。
各々の呼吸の音まで聞こえてきそうだ。
それを打ち破ったのは、雄河だった。
「何を言っているのか分かっているのか?君と春樹は、義理とは言え兄弟なんだぞ?」
嫌悪感 を隠そうともしないその態度に、しかし蓮人はあくまで平静を保って、
「私と春樹さんは血液関係はないので、何ら問題はございません。むしろ幼い頃より生活を共にしている者同士、お互いを知り尽くしているので、好条件かと思われます。華道家としても切磋琢磨してきた仲なので、良きパートナーになれます」
「ハッ!馬鹿げたことを。剛健さん、美代子さん。彼は若いがゆえに暴走しているだけです。こちらの話を進めましょう」
雄河が一笑に伏そうとするのを、今度は美代子が制した。目を細め、普段どおりの穏やかな口調で、
「ずっと春樹のこと、想っていてくれたの?」
ハッとして、目を瞠 った。
思わず春樹の方に視線を向ける。
彼は相変わらず愕然 とし、夢の中にいるかのようだった。
当たり前だ。
長年苦楽を共にしてきた、心底可愛がってきた『弟』から、結婚を申し込まれたのだから。
その胸中 を想像すると、そこはかとない罪悪感 が押し寄せるが、でも。
「はい。ずっと春樹さんを、お慕いしておりました。誰よりも愛しています」
はっきりと、一言一句に想いを込めて、告げた。
まさかここまで断言するとは思っていなかったのか、雄河がゴクリと息を呑むのが分かった。
春樹は相変わらず状況を把握 出来ていないようで、虚空 を見据えている。
剛健はふぅ、と大きく息を吐き、
「だ、そうだ。春樹。お前は、どうしたい?」
「……お、俺……そ、の……あの……」
上手く言葉が出てこない春樹の背を、傍にいた雄河が嫌らしく撫でた。
途端に蓮人は目付きが鋭くなる。
それを横目に、雄河はこれ見よがしに、
「正直に言っていいんだ。急に『弟』を恋愛対象として見るなんて、無理だろ?蓮人くんの為にも、ちゃんと断った方がいい」
「蓮……人の……為……?」
(余計なことを……!)
さりげなく雄河が春樹を懐柔 しようとし、つい気色 ばみそうになったところに、剛健の厳粛 な声が響き渡った。
「分かった。ではこうしよう。華道家らしく、雄河くんと蓮人くんには作品で勝負してもらう。勝敗のつけ方は長谷川家や外部とも連携し、公平を期すようにする。勝利した者が、春樹と婚姻を結びなさい」
思いがけぬ発案に、蓮人は暫し思考が停止してしまったが。
これは最善の策かもしれない、と思った。
全てを春樹に委ねるのは酷過ぎる。
自分はともかく、雄河を正面切って断れば、長谷川家との関係が拗 れ、更には逆上して何をされるか分からない。
恐らく剛健は、蓮人が勝利すると見込んでいるのだろう。
春樹がいずれの選択をするにしても、一番穏便に済むに違いない。
意図を汲み取った蓮人は、
「かしこまりました」
と直ぐ様頭 を垂れた。
剛健は深く頷き、次に雄河と目線を合わせ、
「雄河くん、どうだね」
「……、……かしこまりました」
雄河だって腐ってもプロの華道家だ。
勝負を申し込まれたら、受けてたたねば沽券 にかかわる。
不満げに口を尖らし、渋々ながらも引き受けた。
剛健はようやく顔を綻 ばせ、
「では、雄河くん。詳しい話を別室でしよう。……春樹と蓮人はここで、ちゃんと話しなさい」
「そうね。貴方達には、その時間が必要よ」
美代子も賛同し、三人は部屋を後にした。
雄河は出る直前まで、蓮人を睥睨 していた。
だが、そんなものはどうだっていい。
今は、ただ。
「……春樹さん……」
最愛の人と、向き合うだけだ。
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