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第18話
その日剛健と美代子は例のごとく出張、蓮人も学校に行っていて不在だった。
俄 に家政婦達が騒ぎだしたのが聞こえてきて。
『雄河様、その、ちゃんと春樹様にお話を通してからー』
『うるさい!家政婦の癖に、口答えするな!しばらくの間、部屋に近付くんじゃないぞ。いいな』
『で、でも』
……ゾッと。
全身に戦慄 が走った。
春樹は震えを抑えつつ、家政婦に危害が加えられぬよう、こちらからドアを開いて招き入れた。
『ああ、雄河。来てたのか。中に入れよ』
声を掛けると、雄河はわざとらしく足音を鳴らし、中に入ってきた。
春樹は憂色 を湛えた表情の家政婦ー莉那の耳元で、出きる限り平静を装い、
『心配すんな。しばらくの間、他の皆にもここには来ないよう言っといて』
と伝え、身を切る想いで扉を閉めた。
怖い。
怖くて堪らない。
けれど、自分で何とかしなくては。
(よし、冷静に話せば、きっと雄河だって何も……)
と自身に活を入れた瞬間。
背後から抱き締められ、シャツの中をまさぐられて。
春樹は頭の中が真っ白になった。
高校時代、見知らぬ男に襲われた記憶が甦 る。
何故か妊娠が出来ることを知っていたそいつは、暗がりの中いきなり覆 い被さって、暴言と共に体中を触ってきた。
何とか逃げ出したものの、心に深い、深い傷を負ったー。
『離せっ!!!』
春樹が渾身 の力で振り払うと、雄河はよろめいて後退り、こちらを睨み付けた。
その瞳に宿る憎悪 に怯 みそうになるも、何とか気を持たせる。
すると。
『俺を選べ』
『……は?』
『勝負の前に、俺を選べっつってんだよ』
唐突な申し出ーいや脅しに、呆然としてしまった。
(俺が雄河を、……)
想像しただけで、額に冷や汗が滲む。
目眩が出て、呼吸が乱れる。
今で既にこの扱いなのに、婚姻を結べばどうなるのか、恐怖でしかない。
それに。
(蓮人に……会えなくなっちまう……)
恐らく雄河は激しい束縛 を強い、行動を制限してくるであろう。
特に好敵手 である蓮人には、会わないよう命じてくるに違いない。
あの恥ずかしそうな、少年の時のままのあどけない笑顔が脳裏を過り、ハッとした。
(俺……俺は……)
『……い、嫌だ……』
『……は?』
『……蓮、人と……離れたくねぇ……』
絞り出すように、そう口にした途端。
頬に痛みが走り、鈍い音が響いた。
殴られた。
と自覚する間もなく、容赦なく腹や背も蹴られ、意識を手放しそうになる。
『気持ち悪い奴等だな!兄弟でヤれるってのかよ、ああ!?』
『う、うぅっ』
『結婚したらあいつだって、不幸になるだけだぞ!兄弟が夫夫になるなんて、変な噂が立つに決まってる!』
ガツンと。
身体的な暴力よりも、強いショックを受けた。
自分が蓮人を不幸にしてしまうかもしれない。
世間からの好奇の目線に晒してしまうかも。
頭では分かっていたことだが、第三者から指摘されると現実味を帯び、胸が苦しくなる。
でも。
それでも。
なお首を縦に振らない春樹に、雄河は苛立ちを募らせたらしく、更に動きを激化させた。
『お前は俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ!』
『やめっ……やめろっ……!』
まるで子供に弄 ばれる玩具のように暴行を受け続け、ついに視界が霞 んできた。
そこへー蓮人が颯爽 と現れて。
その姿が視界に入ってきた安堵感は、言葉では言い表せない。
そうだ。
彼は幼い頃からいつだって、自分を守ってくれた。
愛してくれていた。
どうして気付かなかったのだろう。
生涯を共にしたいと思う相手が、すぐ傍にいることに。
(蓮人と、……ずっと、ずっと一緒にいたい……!)
正直に言うと、まだ『夫』として見れるかどうか、定かではない。
それが彼にとって正しい選択なのか、分からない。
しかし、もう自分の気持ちを偽れなかった。
本心を吐露 したら、蓮人は柔和な笑みを浮かべ、
『嬉しい……凄く、凄く嬉しいです』
『俺、絶対に勝ちます。そして正々堂々、貴方を嫁にしてみせる。誰にも文句は言わせません』
と誓 ってくれた。
醸 し出す勇ましさに、ドキンドキンと脈が速まる。
いつの間にこんな、男らしく成長していたのか。
少し前まで体も小柄な、可愛らしい少年だったのに。
(俺、……蓮人のこと、……『夫』として見れる、かも……)
こうして徐々に意識するようになり、ついに迎えた決戦の日。
蓮人は見事、勝利を掴み取った。
常に冷静沈着な彼が、見たこともない程感情を露にし、
『俺……俺……どうしよう……幸せ過ぎて、おかしくなりそう……』
その喜びようと言ったら。
春樹は胸の奥に巣食っていた不安が、一気に吹き飛ぶのを感じた。
(ずっと一緒にいれるんだ……俺達……幸せになれるんだ……!)
幸せ、だった。
人生で初めて味わう、そこはかとない幸福感に満たされた。
これから蓮人と新たな関係を築き上げ、愛情を育んでいこう。
どんな逆風にも、彼とならきっと乗り越えていける。
そう思っていた。
あの日までは。
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