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第31話
「婚前旅行……ですか」
蓮人は春樹と目線を交わし、同時に肩を竦 めて困惑の色を見せた。
剛健と美代子はしかし、ニコニコと笑みを浮かべて、
「代々続く高瀬家の習わしでもあるんだよ。懇意にしてる有名な老舗旅館があってな。それはもう、素晴らしい露天風呂があるんだぞ。皆婚姻を結ぶ前に一度、そちらに赴いて『絆を深める』んだ」
「蓮人は無事に卒業出来そうで、春樹も大分元気になって。もう少ししたら結婚式や仕事に追われるでしょうから、うん、今がチャンスよ!」
「はぁ……」
熱弁をふるう二人に対し、蓮人は間の抜けた返事をしてしまった。
いや、彼らの気遣いは重々承知している。
きっと蓮人と春樹の間に流れる微妙な空気を察して、案じてくれているのだろう。
自分だって。
(春樹さんと温泉旅行……か……めちゃくちゃ行きたい……!でも……)
チラリ、と春樹の方を横目で一瞥 する。
彼は何を思案しているのか、心の内が汲み取れない表情をしていた。
チクリ、と針でつつかれたような痛みが、心臓に走る。
(やっぱり嫌なんだろうか)
婚前旅行、老舗旅館、絆を深める、……。
これらのキーワードから導き出されるのは、やはり性行為しかない。
いくら純然 たる存在の春樹でも、さすがに分かっているはずだ。
(でも優しいから、春樹さんからは断れないだろうな……無理はさせたくないし……よし)
蓮人は断腸 の想いで、辞退しようと口を開きかけた。
すると。
「オレ、イキタイ」
と。
春樹が片言でそう言うものだから、蓮人はハッとしてそちらを見遣る。
その眼差しは真剣そのもので、彼の心情を物語っているかのよう。
しかし喜びよりもつい、大丈夫かと憂 えてしまう。
「は、春樹さん……いいん、ですか?」
それは暗に『俺はセックスする気満々ですよ』と宣言しているようで、密かに恥ずかしかったが、躊躇 っている場合ではない。
春樹の心身を一番に優先してやりたかった。
彼は少し目元を赤く染めながら、
「おう。俺……れ、蓮人となら……行きたい」
ズキュン!!!
(う、嘘だろ……こんなの、反則過ぎ……!)
無垢ゆえの残酷さ、とでも言おうか。
こんな言動を何の狙いもなく、自然と出る辺りが憎らしい。
蓮人は溢れ出る情欲を抑えるのに必死だった。
今すぐにでも春樹に触れたくて、一歩でも二歩でも三歩でも、先に進みたかったが。
(落ち着け、落ち着け、蓮人。父さんと母さんの前で野獣になってはいけない)
そう自身に言い聞かせ、何とか平静を装った。
「ありがとうございます。凄く嬉しい。俺も是非、春樹さんと行きたいです」
「蓮人……」
黒目がちな、小動物を彷彿 させる円らな瞳を向けられ、またしても身体の芯が熱を帯びそうになるが、気合いと根性で鎮火 させた。
剛健はゴホン、とわざとらしく咳払いをし、
「よし、では決まりだ。予約はこちらでしておくから、楽しんで来なさい」
「ふふ。存分に絆を深めてきてね。存分に……ね♡」
美代子が意気揚々とウィンクしてきて、蓮人と春樹は一気に茹で蛸 と化した。
こうして、波乱に満ちた婚前旅行の幕は開けたのだった。
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