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第32話

幸い当日は晴天に恵まれ、春樹は上機嫌ではしゃぎ回っていた。 「見ろよ、蓮人!町並みがめっちゃすげー!」 嗚呼、言葉のボキャブラリーが少ない所まで魅力的だ。 蓮人は眩いばかりに輝くその笑顔の、あまりの愛らしさに目を細めた。 ー情緒的(じょうちょてき)な温泉街の風景には、確かに胸を踊らされた。 川沿いに植えられた柳達、昭和が感じられる佇まいの建造物、行き交う浴衣姿の人々。 まるで昔にタイムスリップしたかのような町並みは、高揚せざるを得ない。 旅館も剛健が言っていた通り、豪奢(ごうしゃ)でありながら温かみが感じられる内装で、長旅の疲れが吹き飛ぶようだった。 通された部屋は和洋折衷(わようせっちゅう)のデザインで、耽美(たんび)な雰囲気が漂い、婚前旅行としてまさに相応しかった。 「部屋も最高だな~後で露天風呂行こうぜっ」 「そうですね」 鼻歌を口ずさみつつ、早速浴衣に着替えようとする春樹を見て、しかし蓮人は慌て目線を逸らす。 (本当に、春樹さんは!自分がどれだけ綺麗か、自覚してないんだから) 陶器(とうき)のような白い肌に、均衡(きんこう)のとれた程よい筋肉、胸の突起は淡いピンク色で、まるで彫刻そのものである。 それを惜しげもなく晒すのだから、本当に心臓に悪い。 未だ自身が情欲を煽る存在だとは、思ってもいないのだろう。 (そろそろ分かってくれないかな……俺だって男なんだし……身体の反応を止められない……) 蓮人は昂りつつある下半身を一瞥し、溜め息を吐いた。 すると春樹は不安そうに首を傾げ、 「蓮人……テンション低くね?つまんねぇ?」 「!いえ!めちゃくちゃ楽しいです!ただその……ちょっと緊張してるというか……」 思わず本音が漏れてしまった。 またしても『俺はセックスする気満々ですよ』と匂わせているようなものだが、春樹は気恥ずかしそうに、艶っぽく瞼を伏せ、 「俺……蓮人になら、何されても平気だから……」 (……え、何これ……夢じゃないよな……) 勉強と称して観たAVに類似した展開に、蓮人はゴクリと喉を鳴らした。 つい無意識の内に、 「春樹、さん……」 彼の黒々とした、滑らかな髪の毛を指先で()かす。 春樹もまた、覚悟を決めたように顔を上げ、そっと目を閉じた。 (こ、これはっっっ……!キスッ……!!??) 紅を塗ったかのように豊潤な唇に、興奮を抑えられない。 ずっとずっと夢見ていた瞬間が、訪れようとしているのだ。 幼い頃から延々と思い描いた夢が、今。 蓮人は一端大きく息を吐き、自身に活を入れた。 (大丈夫、ちゃんと予習はしてある。まずは優しく、触れるだけでいい。とにかく怖がらせないように、ガツガツしないように……) これだけ妄念(もうねん)に取り憑かれては、逆効果ではないかと思うが。 とにかくこのチャンスを逃すまいと、小刻みに震える手で彼の頬を包み込み、唇を近付けー。 「失礼致します~。お部屋の具合はいかがでしょうか?露天風呂には行かれますか~?」 ……二人の世界に浸り過ぎて、ノックに気付かなかったらしい。 女将が入ってきた途端、蓮人と春樹はさすがの瞬発力で体を離した。 面白いくらいに声を合わせて、 「「 はいっ!これから伺いますっ!!!」」 「まぁま、仲がよろしいことで。おほほ」 女将の呑気な笑い声を聞きながら、蓮人も渇いた笑いを返すしかなかった。

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