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第58話

春樹の妊娠を知った瞬間の喜びは、筆舌に尽くしがたい。 (絶対に良いパパになろう。自分には与えられなかった、温かい家庭を築くんだ) 蓮人はそう決意していた、が。 現実はなかなか厳しかった。 「よしよし、『(めぐむ)』、パパだよ、ほらほら~」 「わあああ~ん!ママ、ママ~!!!」 息子である高瀬 芽が無事に誕生してから、もうすぐ一年。 順調に育児あるあるである、『ママでないと大泣きする』子へと成長していた。 いや、特に彼は酷いかもしれない。 春樹のことが大好きで、一秒たりとも離れようとしないのだ。 (顔は俺にそっくりなのにな……いや、中身もそっくりなのか。俺も春樹さん大好きだし) などと呑気に考えている場合ではない。 変顔をしても、ミルクを与えても、オムツを換えても、芽は一向に泣き止まない。 ほんの数分間、春樹を気分転換させる為に、散歩に行かせただけなのに。 心配する彼を、『任せて下さい。俺もパパですから』と大口叩いて送り出したのに、……情けない。 「芽、芽~大丈夫だからね、泣かないで~」 「わあああ~ん!あああ~ん!ママ、ママ、ママ~!!!」 何が大丈夫なのか、自分でも分からぬまま口走るも。 芽は大怪獣の如く咆哮(ほうこう)し、ひたすら春樹を求めた。 人間の本能とは言え、こうも存在をスルーされると心が折れそうになる。 それでもなお、必死にあやし続けていたら。 「ただいま~……ってなかなかの修羅場だな」 救世主の登場だ。 苦笑しながら現れた春樹が、輝いて見えた。 芽もピタリと泣き止み、小さな手で宙をもがいて、 「ママ、ママ」 「はいはい」 春樹が抱いた途端、穏やかな笑みを浮かべている。 蓮人は安堵と同時に、複雑な感情を抱いた。 子供が母親に執着するのは仕方ないのだろうが、どうしても自分に問題があるのではないかと案じてしまう。 それに春樹にとっても負担が大きい。 (早く懐いてもらって、春樹さんを楽にしてあげなきゃ) ぐるぐると巡る思考を知ってか知らずか、春樹は無邪気に笑って、 「芽って、蓮人にそっくりだよな。本当に綺麗な顔してる」 「そうですね。でも春樹さんに似ても、絶対可愛かった」 「え~?そうか~?……何かさ、幼い頃の蓮人を育ててるみたいで、倍楽しいんだ。だからお前も育児、もっと気楽に楽しんでいいからな」 ドキッ。 まるで何もかも見透かされているみたいだ。 密かに抱えている苦悩も、不安も。 (やっぱり春樹さんには敵わない) 内心舌を巻いていると、春樹はやっと夢の世界へと旅立った芽をゆっくり、ゆっくりとベッドに寝かせ、 「よし、オッケー」 「さすが春樹さん……」 「ふふっ。じゃ、ここからは……大人の時間、な?」 先程までの『ママ』の顔とは一変し、艶っぽい眼差しを向けてくる。 彼は出産してから、ますます色気が増した気がする。 蓮人はゴクリと喉を鳴らし、体の芯に熱が宿るのを感じた。

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