4 / 53

潜 ②

「ねえ、友一郎(ゆういちろう)は泳げないの?」 「泳げなくはない」 「じゃあ、なんで泳がないの?」 「疑われたくないから」 「泳ぐと疑われるの?」 「安心しろ、お前は大丈夫だ」 「友一郎はなんでみんなと漁をしないの?」 「漁師じゃないから」 「なんで毎朝、砂浜のゴミを拾ってるの?」 「罪ほろぼし」  (かづき)はウーンとうなった。自分ばかり喋りつづけるのは悪いかなと思って、友一郎に話してもらおうとしたのだが、あまりにも友一郎が話さないので、結局、潜が一方的に問いつめるような形になってしまった。それに、話の風向きが少し不穏だ。罪ほろぼしとは。  ぱしゃん、ぱしゃんと波が友一郎の舟の脇腹を打つ。友一郎はゆっくりとパドルを回しつづけながら、潜をちらりと見た。 「大したことじゃない」  そう言って、彼は進行方向に視線をもどした。 「漁師をしない、かわりだ」  潜はパドルに当たらない範囲で近づけるだけ近づいて、友一郎の横顔をじっと見つめた。 「どうして漁師にならないの?」  という問いかけは友一郎の耳に入らなかったのか、友一郎は真っ直ぐ前を向いて黙々と舟を漕ぎつづけた。  軽くジャンプして勢いをつけ、潜は水中に突入した。数メートル先までしか見通せない濁った水の中を、頭を下にしてまっすぐ降りる。そして柔らかな泥のつもった水底を手でタッチして、方向転換し、水面を見上げた。お日さまの光をうけてキラキラ輝く水面に、細長くて黒い影が浮かんでいる。友一郎の舟だ。潜と水面のあいだを、小魚の群れが横切る。もやもやとして見透しの悪い水中で、魚たちはまるでガラス片のように輝いている。  潜がぷはっと水面に顔を出すと、友一郎は初めて会ったときのような驚きかたはせずに、ちょっとだけ潜の方を見てから、またすぐ顔を進行方向へ戻した。まるで目の前をありふれた魚が一匹通りすがっただけの時のサメのように、すぐに興味をなくしたようだ。だが、 「ねぇ、友一郎。今日はあのシャンシャン鳴るやつは持ってきてないの?」  潜が聞くと、友一郎はすぐ顔を潜の方へ向け、 「ラジオのことか?」  と、問いでこたえた。 「そう、そのラジオ。今日はどうして持ってないの?」 「お前だけで充分だから、にぎやかなのは」  そして友一郎は片方の唇の端を少しだけ上げた。笑っているのかもしれない。潜もへへっと笑った。ところが、友一郎はすぐに唇をもとに戻し、舟から身を乗り出すようにして潜を見た。 「こっちに来てみな」  手招きされて、潜は舟に近づいて(へり)につかまった。と、 「わっ、何するんだよ!」  友一郎が親指を潜の目頭にめり込ませようとするので、潜は思わず半開きだったを目尻までぴったり閉じた。 「おぉ」  半透明な内側のまぶたを通して見える友一郎の顔は、顎ひげのありかがわからないほどに、ぼんやりとしている。 「なんだ。猫と同じか」  船着き場をとことこ歩く胴長で甘ったるい声色で鳴く生き物とじぶんの、どこが同じなのだろう。友一郎の手が潜のほっぺたをひとなでして、遠ざかる。潜は内側のまぶたを開いて友一郎を見た。彼はいまは唇の両端をあげている。潜もへへっと笑った。    舟はもと来た砂浜につこうとしている。誰もいない砂浜に友一郎は舟を上げて、潜は友一郎のあとについていく。潜が行けるのは海水に濡れた砂のところまでだが、友一郎は日に焼かれた白い砂の上を、熱さなどものともせずに、舟を肩に担いで森の方へと歩いていく。それがお決まりの流れだった。  ところが、今日はなぜか砂浜に人が一人待っていた。彼は、 「潜くん!」  と砂浜から波打ち際までかけてきたが、友一郎が行く手を遮った。 「潜に何か用ですか」  友一郎は舳先(へさき)を相手にむけて突き出した。目の前に立ち塞がられた方は(もり)でも突き出されたかのように「ひっ」と情けない悲鳴を上げ、おどおどと後ずさった。

ともだちにシェアしよう!