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友一郎 ③

 会えばずっと一人で喋っているし、話のネタが尽きればこんどはずっと一人で歌っている。(かづき)がいれば、ひまつぶしにラジオなんか要らなかった。どういうわけか、ずいぶんなつかれてしまった。巡視船の奴らに見とがめられなければいいが、と思いつつ、友一郎(ゆういちろう)はカヤックを肩にかついで、ひとり家路を歩いた。  先ほどは肝が冷えた。いつものように潜と砂浜に戻ったら、見知らぬ人間が待ち構えていたからだ。友一郎は一瞬、巡視船から派遣されて来たのだろうかと思って緊張した。だが、その男は巡視船とは無関係で、潜の古い知り合いだった。男は獣医で、いまは半島の水族館にいるらしい。常勤ではなく、人魚の調査のために一時的に半島に逗留(とうりゅう)しているそうだ。男は動物位置情報システムで潜がこの湾内に流れてきたのを知り、顔を見にきたというわけだ。  誰にも会わずに友一郎は家に着いた。カヤックを軽く水洗いして、ガレージにつるした。玄関先では、猫が植木鉢に背中をこすりつけていた。 「よう、タマじろう」  友一郎がしゃがんで手を差しのべると、タマじろうはニャオンと一声鳴いて近づいてきて、友一郎の手のひらの中に頭をすっぽり埋めた。友一郎が手を動かさなくても、じぶんから頭をすりつけてくる。  存分にすりすりして顔を上げたタマじろうの目頭のきわに、薄い膜が張っていた。さっきの潜と同じだ。上下二つのまぶたの内側の、もう一枚のまぶた。潜はそれを海中でゴーグルのように使うらしい。内側のまぶたを閉じて少し白く(くも)った目で見つめられると、種族の違いというものを改めて思い知らされるようだ。  手のひらに、猫の毛とも人肌とも全然違う人魚の肌の感触を、思い出した。 『ありがとう。オレを守ろうとしてくれたんでしょ』  別れぎわに潜は言った。とんだ買いかぶりだと友一郎は思った。ただ、肩に舟をかついでいることを忘れて一歩前に踏み出したら、相手が尻もちをつくほど驚いた。それだけのことだ。  唇の両端をくるんと丸めて、イルカのように屈託なく笑う潜を見たとき、彼は胸にチクリと(うず)きを感じた。やはり、潜は大翔(ひろと)に似ている。 「そこで待ってな。なんか食うものもってきてやるよ」  友一郎は腰を上げた。タマじろうは甘い声で鳴いて彼の(すね)にまとわりついた。  夕飯は、早起きな祖父に合わせてまだ日のあるうちに摂る。祖父は手酌でビールを飲みながら、珍しく口を開いた。 「人魚が島に来たな」  友一郎はギクリとした。 「若い衆になついて、港によく顔をだすわ。若い奴らには、可愛がるのはいいが巡視船に目ぇつけられないよう気を付けろよって言った」  そう言うと、祖父はぐいっとグラスをあおり、刺身をつまみはじめた。祖父は友一郎が人魚(かづき)と会っていることを知らないはずだ。常日ごろ、友一郎が昼間どこで何をしているのか、祖父は聞きもしないのだから。  だが、いつもは食事中に一切口を利かない祖父が、あえてそんなことを言うのは、孫への遠回しの警告のようにも友一郎には思えた。  お前は漁師にならないのだから、せめて漁師(われわれ)の仕事の邪魔にはなるな。祖父の言いたいことはそういうことなのかもしれないと、友一郎は考えた。 「ごちそうさま」  友一郎は箸を置き、とっとと自分の食器を片付け、子供時代からの自分の部屋に引き上げた。  ようやく日が暮れる。だがそれは友一郎にとっては長い夜の始まりにすぎない。テレビゲームは子供のうちにやりこんでしまい、とっくの昔に飽きてしまった。本を読みたい気分でもない。薄暗闇で目を閉じると、気分がいっそう鬱々としてしまう。そしてまた眠れぬ夜のあいだじゅう、考えてしまうのだ。大翔はどうして死んだのかと。

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