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潜 ④
「なんだったんだ」
伊達 くんが去ったあと、珍しく友一郎 が自分からしゃべった。
「伊達くんはいつもあんな感じだよ。普段はおとなしいけれど、人魚の話をしようとすると急に元気になって、話が止まらなくなるんだ」
「そうなのか。というより……」
「というより、何?」
「いいのか? 俺が色々、お前のこと聞いて」
伊達くんは友一郎相手に、人魚が食べていいものや食べてはいけないものについて、長々と話してから帰ったのだ。
「いいんじゃない? 伊達くんは隙があれば誰にでも人魚の話をするんだから。そのうち友一郎だけじゃなくて徹 くん達にも同じことを話すよ。もしかしたらもう話しているかもしれないね」
「いや、そうじゃなく……、まぁいい」
と言って、友一郎は下を向いてしまった。潜はぺたぺたと数歩歩いて、友一郎の隣に座った。
「今日もまた寝不足なの?」
「昨日ほどじゃない」
彼はそう言うが、潜にはまだだいぶ疲れているように見えた。潜は友一郎の顔をじっと見た。昨日はツルツルだった下顎 の先に、短い棘 のような毛が生えていて、その部分の肌が潜の腹のいちばん色が薄いところのような青っぽい灰色になっていた。潜は友一郎の顎に手を伸ばした。手のひらを上に向けて、指の腹でそっとなでてみる。
「ざらざらだぁ」
潜が笑うと、友一郎は潜の指から逃れるように顎を上げた。
「いいから、水飲めよ」
と、友一郎は砂の上から伊達くんのくれた水筒を取り上げ、潜に押し付けた。眉間に深い皺 が寄っている。なんだか機嫌が悪そうだ。
潜は素直に水筒をうけとり、吸い口をくわえた。氷水はよく冷えていたが、冷えていたって真水は真水で、やはりまずかった。少し我慢して吸っていたが、しばらくして吸い口を下の前歯の隙間に引っかけて遊ぶと楽しいことに気づいた。引っかけて、勢いよくひっぱると、プンッ! と音が鳴って弾ける。潜はプンッ! と鳴るたびにけらけらと笑った。だが、少し遊んだら飽きてしまった。潜が一人で遊んでいる間に、友一郎の眉間からは皺が消えていた。潜は彼が機嫌を直したのかなと思い、話しかけた。
「ねぇ、友一郎。昨日はどこに行っていたの?」
「半島の街だ」
友一郎はそっけなくこたえた。
「それは知ってるよ。半島のどこの街に行って、何をしてきたのか、聞いてるんだよ」
「フェリーがとまる街の、山のほうだ。友達に会いに行った」
友一郎にも友達がいるのか。潜は目を丸くした。潜にしてみれば、友達が一人もいない方が珍しいしおかしいのだが、しかし、友一郎に限っては、友達がいる方がおかしいような気がした。
「山に、友達に会いに行ったんだね?」
「ああ」
友一郎がかすかに笑ったように見えたとき、胸の奥にちくりと痛みが走った。磯の岩肌に不用意に手をかけて指先を切ってしまったときのような痛みだ。傷は小さいし浅いのに、とても痛いような。
「オレも会ってみたいな、友一郎の友達に。いいでしょ? オレ、フェリーのあとを泳いでついていくよ」
友一郎は首を横に振った。
「どうして? オレには会わせたくないの?」
友一郎はまた首を振った。
「会わせたくないんじゃない。会えないんだ」
「なんで? 友一郎は、昨日、会って来たんでしょう」
「会ってはいない」
「留守だったの?」
「いや、空の上にいるから」
といって、友一郎は曇り空を見上げた。
「死んだの?」
「あぁ」
「死んだ人のことを、友一郎は友達だと思い続けるの? 死んだら、何もこたえてくれないのに。二度と会えな……」
潜が最後まで言わないうちに、友一郎は「さあ」とさえぎって言った。
「そろそろ海に戻った方がいいんじゃないのか」
友一郎は預かっておくといって水筒をつかみ、つっと立ち上がって、森の方へ歩いて行ってしまった。潜はしぶしぶ、何度もふり返りながら海に戻った。友一郎は一度もふり返ってくれなかった。
水の深さがくるぶしよりも少し高くなったところで、潜は砂に腹這いになるようにして水に浮き、両手を砂について腕に力を込め、体を前に押し出した。びゅんと前進し、まもなくバタ足ができるほどのところまできた。空からの光が少なく、水の中は濁って見透しが悪い。潜は体をうねらせて、水底を目指した。
友一郎は怒っていた。だが、オレだって怒っていると潜は思った。友一郎は目の前の潜よりも、死んでしまった友達の方が大切なようだった。いつ話しかけてもどこか上の空なのは、いつも心の中でその人のことを思っているからなのだろう。
死んだ人にこだわってもしかたないのに、死んだ人にこだわってもしかたないのに。潜は頭の中で何度も繰り返した。ヘドロしか見当たらない海底に沈んで、生命力を全部抜かれて白くなった体や、瓦礫が押し寄せてごちゃごちゃになった浜辺を思い浮かべながら、潜はめちゃくちゃに泳いだ。
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