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友一郎 ⑤

 なんだ、(かづき)の奴、結局ほとんど飲まなかったんじゃないか。家の台所で友一郎(ゆういちろう)は水筒の中を(のぞ)き、深いため息をついた。  もしも水を飲んでくれなかった場合、しかたがないから、果物ジュースを水で薄めたものを与えてもいい。ジュースはできれば果汁百パーセントで食品添加物の入っていないもの。あるいは濃縮還元のものでもいい。本来ならば経口補水液やスポーツドリンクがいいのだが、潜はそういったものはなおのこと飲まないだろう。酸味の強いものはダメ。炭酸飲料もダメ。そう伊達(だて)は言っていた。  まるで、お前が世話をしろと言わんばかりだった。だが、潜に言わせれば、伊達は単に人魚に関する知識を誰彼かまわずのべつまくなしに語ってしまうだけで、他意はないという。港の漁師たちにも、伊達は同じことを話すだろうと。  伊達の話を聞いたみんながみんな、自分こそが潜の保護者だと息巻いてしまったら、それは、潜をかまいすぎることになる。脱水症を回避するため、一次的にジュースを飲むのを潜は許されたはずが、行く先々で与えられては、かえって健康を害するのは明らかだ。  余計なお世話、なのかもしれない。友一郎は思った。潜は野性動物だ。よってたかって世話をするものではない。だが、みんながみんな、そう思って……きっとだれかが潜を気にかけていてくれるはずだと思ってしまったら、どうなるだろうか?  あいつはきっと、上手くやっている。  そう思い込んだ結果、大翔(ひろと)はどうなった? 大翔がなぜ死を選んだのか。あんなに交遊関係が広かったのに、誰ひとりとして、大翔が何をかかえていたのか、知る者はいないではないか。  腹は立つが……。  友一郎はまた一つ、大きなため息をついた。死んだ親友をなおも想っていることを、馬鹿にされるとは。結局のところ友一郎も潜にとってはおおぜいの友達の一人にすぎない。潜は俺を必要とはしていない。世話を焼く必要なんかないだろう? だが、そう思いつつも体が勝手に動いてしまう。  冷蔵庫を開けてみれば、飲み物なんか麦茶と缶ビールしか入っていなかった。港の雑貨屋に買いに行かなければ。    朝はほとんど喧嘩(けんか)別れのようだったので、今日はもう潜は姿を見せないかと思いきや、午後もほぼいつもの時間に砂浜に現れた。ただ、波打ち際にうつぶせになったまま、むくれ顔で友一郎をじぃっとにらみ続けている。 「ほら、飲み物持ってきてやったぞ」  友一郎はカヤックを砂の上に置いて、手に()げてきた買い物袋をかかげて見せた。するとようやく潜は立ちあがり、ちょっとふらついたあと、おぼつかない足どりでペタペタと歩いてきた。  友一郎は砂にレジャーシートを広げて腰をおろした。「お前も座れ」というと、潜も友一郎の前に、胡座(あぐら)を崩したような格好で座った。 「他の誰かに何かもらって、飲み食いしてないだろうな」  友一郎は念を押した。 「もらってないよ」  潜はふくれっ面のままで答えた。  友一郎は彼と潜の間に青い水筒を置いた。伊達が潜にくれた水筒で、中には水ではなくリンゴジュースを二倍に薄めたものが沢山の氷と入っている。 「飲んでみな」  と、うながせば、潜はしぶしぶといった感じで水筒を手に取り、(ふた)を開け、シリコン製の吸い口に鼻面をよせ、用心深く匂いをかいだ。それからやっと吸い口を口に含み、チュッとひと吸いした。たちまち目を丸くし、すぐに細めると、チュッチュッと忙しなく吸い始めた。  どうやら気に入ってもらえたようだ。友一郎は安心して、自分も別に用意した水筒で水分を補給した。 「友一郎は何飲んでるの?」 「飲んでみるか?」  友一郎が自分の水筒を差し出すと、潜は飲み口を嗅いで、眉間にシワを寄せて一口飲んだ。 「うえぇ、まずっ。なにこれぇ」 「麦茶だ。体にいいぞ」 「オレはこっちがいい」  潜は友一郎に水筒を突き返し、彼の青い水筒を両手で持つと、ごろりと横になり、頭を友一郎の胡座に組んだくるぶしの上に乗せた。 「なんだよ」 「子供のころ、脱水症になると、こうやってジュースを飲ませてもらったんだ」  友一郎は、俺と同じくらいの図体でなに言ってんだと思いつつ、せっかく機嫌を直したのだからと、潜をそのままにしておいた。  ほっぺたを撫でると、潜は水筒の吸い口をくわえたまま、満面の笑みをうかべた。左右に引き伸ばされた唇には、縦に細かいひび割れがいくつも入っていた。それに、青黒い|隈取《くまど》りにふちどられた目は、少し落ち|窪《くぼ》んでいた。本人は元気そうにしているが、あんがい体調がよくなかったのかもしれない。

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