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友一郎 ⑥
風の少しある午後。友一郎 はカヤックを漕ぐのはよして、波打ち際の砂が海水を十分含んだところに、大きな穴を掘っている。スコップで砂をかき出すたびに穴の底から海水がしみ出てくるし、波がざばぁと打ち寄せてきては、穴の縁 に積んだ砂を洗い流していった。角ばっていた穴の内壁が溶けて滑らかになる。崩れた砂は穴の底に溜まる。ひたすら心を無にしながら、友一郎は砂掘りに精を出し続ける。もうじき海開きだ。たくさんの海水浴客がこの砂浜にやってくる。潜とこうして波打ち際で遊んでいられる日も、残りわずかだ。
一方、潜 はといえば、先ほどから「浜に打ち上げられたイルカのまね」といって沖に向かって泳いでいき、波に押し返されて砂浜にころがり、また海に戻っては押し返されるという遊びを繰り返している。
友一郎はスコップを砂につき刺し、腰を伸ばして額の汗をぬぐった。そこへ、潜がうれしそうにかけてきた。
「もう出来たの?」
友一郎が返事をしないうちに、潜は穴に飛びこんだ。砂のプールのつもりが、穴の直径はバスタブの大きさにもなっておらず、底も浅すぎて、潜の膝から爪先は穴に収まりきらなかった。
ざぶんと少し大きな波が立った。海水は潜の頭上を越えるくらいで、彼の身体を半分砂に埋めた。ぱしゃんと顔に波を浴び、潜はきゃっきゃと笑い声を上げた。
「箸が転んでもおかしいお年ごろってやつだな」
と、友一郎は言った。
「ハシがなんだってー?」
「箸が転んでも、」
「おかしいお年ごろ? それ、トオルくんにも言われ……わぷっ!」
顔にまともに海水を浴びて、潜はじたばたともがいた。
「友一郎、助けてっ! 出られなくなった」
「まったく世話の焼ける。ほら。手、出しな」
手を貸そうにも足場は悪く、しかも潜の身体は重かった。立ち上がろうとした瞬間にしがみつかれバランスを崩し、おっとっとと数歩タタラを踏んで、潜を下にして倒れた。咄嗟 に友一郎は潜の顔の両わきに膝をついて、彼を押しつぶしてしまうのは免 れた。
親友によく似た顔が至近距離にある。きょとんとして、目を瞬 かせている。魚臭くて微 かにリンゴジュースの匂いのする吐息。波の中に広がり海藻のように揺れる、青みをおびた黒髪。瞳孔を大きくまん丸に開いた目で友一郎をじっと見上げてきたと思えば、目を細めて口の端をきゅっと丸め、邪気のない笑顔になる。
たじろいだ友一郎の背中に潜は両腕を回し、易々と横倒しにした。全身すっかりずぶ濡れにされてしまったのは、もとより濡れてもいい格好をしているのでいいとして、この距離の近さはどうなのかと友一郎は思う。
冷たい海水に冷やされた肌の内側から、人肌のぬくもりがじんわりと伝わってくる。ネズミ色で茄子 みたいにツルツルとした、人間ばなれ甚 だしい表皮をもっていても、人魚は人間と交配可能なほどに近い種族だ。無遠慮に押しつけられる身体、生々しい体温に、友一郎は違和感をおぼえずにはいられない。
潜は友一郎を抱きしめたまま、片足を上げて友一郎の腰を腿 で抱えこむようにした。さきほどから海水パンツの中でかま首をもたげようとしていたものが、潜の下半身に圧 されて硬くなり、熱を帯びる。
「なんだよ」
「ときどき、友一郎とこうしたくなる」
ぐいっとぶつけるように、いっそう強く腰をひと押ししてから、潜は感情の読めない笑みを浮かべた。頬や鼻筋のネズミ色の肌がほんのりピンク色に染まっている。なんのつもりなのか、意味がわかってそんなことをするのか、「浜に打ち上げられたイルカのまね」のような単なる思いつきなのか、よくわからない。野性動物であるがゆえに、欲望には忠実なのかもしれない。もしかすると、相手が誰でも同じことをしたくなるのかもしれない。潜の潤んだ茶色い虹彩の中心は限界まで拡 げられ、揺るぎないまなざしが友一郎を凝視 する。
奇妙な膠着 状態は永遠に続くかと思われたが、潜がふと上半身を上げたことによって解 かれた。
友一郎はほっと息をついた。胸の奥ではまだ心臓がどくどくと早鐘のように打っていて、脚の間の猛りも静まらない。潜が野性動物の機敏さで、首をかしげ、森の方を注視するのを、友一郎は砂に寝転んだまま仰ぎ見た。ほとんど黒色に近い顎の下から首筋の、鎖骨へとつながるラインや、肩のまろやかな肉づきになまめかしさを感じてしまい、自己嫌悪がじわじわと押し寄せてくる。
やがて、潜の視線の向けられた先から、人が数人どたばたと走ってきた。
「おーい、おーい」
伊達 とその部下たちだ。彼らは友一郎たちに用があるわけではないらしく、砂浜の端の船着き場へとまっすぐ走っていく。彼らは走りながら、沖の方に両手を振っている。なにごとかと思い、友一郎も彼らが手を振る方を見た。沖合いの、入江の左右から伸びた防波堤の間あたり、いくつかの影が波に揺られて上下しているのが見える。
「きたぞー、人魚の群れ が来たんだーっ! ホゥホゥホゥ!」
伊達が興奮して船着き場の上をぴょんぴょん跳びはね、「危ないですよ!」と部下たちから押しとどめられていた。
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