15 / 53

友一郎 ⑦

「それと、これ。(かづき)くんからです」  友一郎(ゆういちろう)(とおる)からもらった手土産の袋を左手に持ちかえ、差し出された二つ折りの紙を受け取った。 「わざわざすいませんね」 「いいえ。潜くん、最近友一郎さんが砂浜に来ないって淋しがってましたよ」  徹は健康的な白い歯を見せて笑った。  これは飲み会には顔を出さない訳にはいかないな。徹が帰ったあと、友一郎は玄関の引き戸を閉めてため息をついた。ビニール袋いっぱいの夏野菜。そして、潜からの手紙。手紙にはこう書いてあった。 『友一郎へ 逢いたいです 潜』  ずきりと良心が痛む。  砂浜にメスの人魚の群れ(ポッド)が上陸して、巡視船が見回りにくるようになった。彼女達は発情期の交尾相手に人間の男を求めてやってきたのだが、巡視船が人魚と人間との交配を許すはずもない。漁協からは、人魚と関わって巡視船(やつら)を刺激するなというお達しが来たと、友一郎は祖父から聞いていた。  それを機に、潜と会うのはもうやめようと友一郎は思い、海に近づかないでいた。 『逢いたいです』  短い手紙の筆跡はよれよれだが、形のいい文字から、これは確かに潜の手によるものだと、友一郎にはわかる。「潜」「友一郎」と砂に指で書いて、得意げに見せてきたときの潜の表情が思い出された。次に連想したのは、 「ときどき、友一郎とこうしたくなる」  そう言って浮かべた、謎めいた表情だ。謎もなにも、と友一郎は今となっては思う。潜は友一郎に対して発情していた。メスが発情期ならオスもまた発情期なのだ。最近まで、潜はこの海域でたったひとりの人魚だったから、遊び相手をしていた友一郎を交尾相手と思い込んでしまったのかもしれない。だが、今ではたくさんのメスの人魚が島にいる。潜は「女の子と仲良くなるのは人間と仲良くなるより難しい」などと言っていたが、あんなに顔や姿がいいのだから、相手をしてくれる子はいくらでもいるのではないか、と友一郎は考えた。  昼間は海に出ないぶん、家の掃除や庭の手入れをして過ごした。それはけっこう骨の折れる仕事だったが、疲労は夜に心地よい眠気をもたらさなかった。友一郎はじぶんの部屋で一人横になって、ラジオを聴いた。ニュースでは、海流の変化のせいで人魚の群れが例年よりも北の沿岸に上陸していると(しら)せていた。    飲み会に招待されて初めて、友一郎は徹とその仲間たちの住まいを訪れた。彼らは長らく放棄されていた古民家を自分たちで修繕し、そこに暮らしていた。近くには畑も持っているという。その畑も、雑木林に埋もれかけていた農地を再開墾(かいこん)して作ったらしい。都会のサラリーマンが夢に見るようなユートピアを、彼らはこの島に本当に作ってしまったのだ。  広い庭に(しつら)えられた宴会場は、地元の漁師たちのほか、たくさんの若者たちであふれていた。徹によれば、若者たちの中で定住者は多くなく、ほとんどは期間限定でそれぞれの仕事やボランティア活動などのために、一時的に滞在しているのだという。 「そんな感じで、みんなで顔合わせして仲よくしましょって会なんで、大丈夫です」  徹はそう言って、友一郎を席に案内した。 「やあ、こっちこっち!」  伊達(だて)が手を振りながら隣の空席を指している。そしてその背後には、水色の大きな水槽が置いてあり、 「友一郎ーっ!」  潜がひょこっと顔を出した。 「手紙、読んでくれた?」 「ああ。読んだよ」 「オレほんとうに、友一郎に逢いたかったんだよ」  潜は水槽から身を乗り出し、友一郎の首に両腕を回した。たちまち友一郎のポロシャツは水に濡れた。きつく抱きしめられて、ぴったりくっつきあった頬や濡れた布ごしに、潜の体温が伝わってくる。心を()かすような温かさだった。友一郎は少しためらいつつも、潜の耳もとにささやいた。 「俺も会いたかった」

ともだちにシェアしよう!