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潜 ⑦

 宴会場の一角に広くあけられた場所。楽器の演奏などがおこなわれていたその場所へ、女の子達と(かづき)は割り込んだ。女の子のウクレレとコーラスをしたがえて、潜はうたうことになったのだ。  たくさんの視線が潜に向けられていた。この小さな島にこんなに多くの人々がいたなんて、と潜は聴衆を見回して感嘆した。いつも仲良くしてくれる人、会えば親切にしてくれる人、たまに姿を見かける人、そして初めて見る人たち。潜は彼らのまえでうたった。ここ最近は秘密の入り江でひとりきりでうたっていた歌を、たった一人を想ってうたっていた歌を、ここにいるみんなのために、潜はうたった。  それは思った以上に気分のいいことだった。誰もがなにもかもを忘れたような顔をして聴き入っていたし、中には手で口を押さえて涙を流している人もいた。歌というたった一つの働きかけで、この場にいるすべての人に潜は想いを届けた。近ごろ見失いかけていた、自分を再発見したような清々しい気持ちで、拍手喝采するみんなに潜は手をふり、深くお辞儀をした。  やっと自分の水槽に戻ろうとしたとき、友一郎(ゆういちろう)の後ろ姿が目にとまった。友一郎は伊達(だて)くんの隣に座り、大きな身ぶり手ぶりで一生懸命しゃべる伊達くんの話に、ちゃんと聴いているのかいないのかわからない素振りで耳を傾けていた。そんな彼は、あれでも人の話をよく聴いている、ということを潜は知っている。 「人魚っていうのはね、あれでものすごく強いんですよ! 狂暴なホホジロザメだって、群れの見事な連係プレーで追いつめて、背後からグッとこう、首を締めて」  伊達くんはサメの太い首に腕を回して締め上げるジェスチャーをしている。潜は忍び足で近づいて、友一郎の肩に手を置いた。 「なんでサメの話?」  潜が声をかけると、二人はびっくりした様子でふりかえった。彼らの間に潜がすべり込むと、伊達くんが席を一つずれて潜のために場所を空けてくれたので、潜はそこに座った。 「ねぇ、オレの歌はどうたった?」 「すごく良かったよ潜くん! やっぱり人魚の歌は」  云々(うんぬん)かんぬん。伊達くんがまた人魚にかんする蘊蓄(うんちく)を語り出す一方で、友一郎は、 「それより、」  と潜の頬にふれて言った。 「お前、もう水槽に戻りな」  友一郎の太い指が、潜のカサカサになった肌をすりすりとこする。こそばゆさに潜が口を開けて笑うと、友一郎も口の端を少し上げて笑った。 「蚊にも刺されている」 「楽しくてぜんぜん気づかなかった」  すると友一郎は指を離し、そしてその指で潜の肩から髪をひと束、すくい上げた。なかば乾いた髪の、くるくるに巻いた毛先をもてあそびながら潜をじっと見つめる友一郎の目がなにか意味ありげで、潜は少し戸惑い伊達くんの方を見た。だが伊達くんはニヤニヤとするばかりだ。 「ふたりとも、なんなの?」 「なんでもないでーす」  伊達くんは言うが、なんでもないようには全然見えない。友一郎はといえば、表情に乏しいのはいつものことだが、こんどは潜の毛先を見つめいじくりながら、なにか考えごとをしている様子だ。    飲み会がお開きになったあと、(とおる)くんが潜を車で港まで運んでくれた。友一郎も、潜が一緒に来てくれと頼んだらついてきてくれた。  潜は岸壁の海底にむかって緩い傾斜になっているところから海に入った。数時間ぶりの冷たくて新鮮な海水は清々しくて心地よく、潜は手で水を掻いて海面をふわふわ漂った。 「今日は楽しかった」  潜が言うと、友一郎も岸壁の上でうなずき、その場にしゃがんだ。 「どうしたの?」 「少し、酔いざまし」  そう答えた友一郎の背後の少し離れたところ、港の建物の方から、徹くんとその仲間たちがなにかを話し楽しそうに笑う声が聞こえてくる。潜はしばらくのあいだ、同じ場所で円を描くようにぐるぐる泳いだ。  友一郎は岸壁の船着き場に使われている場所にしゃがみ、潜を無言で見下ろしている。いつもの気難しそうな顔。だがどこか優しげな顔をしているから、潜は嬉しくなる。 「さっきは伊達くんと何を話していたの?」 「俺に、潜と遊んでやれって。俺が海に行かないせいで、お前が淋しそうにしていると言われた」 「それで?」 「また海に行くよ」 「それで?」 「また舟を漕ぐよ」 「それで?」 「またお前の話しを聞いて」 「それで?」 「またお前の歌を聴くよ」 「やったぁ!」  潜はざぶんと宙返りをした。水が跳ねて友一郎にかかったが、友一郎は声を出さずに笑っていた。 「それじゃあ、明日は秘密の場所に案内してあげる。水の流れが少し複雑だけど、きっと友一郎の舟なら行けると思う。だって(かい)をひと掻きでビューンって進むでしょ? だから行けるよ」 「うん、明日な」 「すごくいい所なんだ。小さくて水のきれいな砂浜があって、崖と岩に隠されていて、誰からも見えない」 「うん」 「必ず! 約束だよ」 「潜」  呼ばれて、潜は友一郎のいる方へ近づいた。 「おやすみ」  友一郎はそう言って立ちあがり、(きびす)を返した。友一郎がいた場所と海面は高低差が大きかったので、潜のところからは友一郎の姿がすぐに見えなくなってしまった。

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