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友一郎 ⑩(上)

 今朝から全く動きのない(かづき)。そして半島沖で発見された人魚の片腕。まさか潜に何かあったのか。うだるようだった暑さが一気に遠退く。  伊達(だて)はゆっくりとスマホを握った手をおろし、少しのあいだうつむいたのち、おもむろにラジオ体操の結びのような深呼吸を始めた。数回の深呼吸のあと、彼は頭を掻き、照れ臭そうに笑った。 「僕としたことが、私情に流されてしまうところだった。獣医たるもの、個人的な感情はおいといて、冷静かつ最適な判断に基づいて行動しなくては」  伊達は駆け足で数メートルほど砂浜に近づき、浜の端から端まで見渡した。 「よし、僕らが把握済みの個体は全員ここにいる。いないのは潜くんだけだ。そして彼も腕の発見箇所からはだいぶ離れた場所にいる。例の腕は指先から付け根まで丸ごとで、おまけに肩甲骨までぶら下げているときている。本体は何かに捕食されたか船のスクリューに巻き込まれる等、事故に遭ったと見ていい。おそらく生存してはいまい。そこで、僕がまず最優先にすべきは潜くんの救助だ。腕の回収と保存は僕じゃなくてもできる」  伊達は折り返し電話をかけて部下に指示をだした。 「行こう」  促されて、友一郎(ゆういちろう)は伊達のあとを追った。  森の外れに一台のワゴン車が迎えにきた。二人はワゴンの後部座席に乗り込んだ。運転席と助手席には伊達の部下がいた。伊達と友一郎がシートベルトを着けるのを待って、ワゴンは動きだした。 「昨夜の潜くんの行動ログに不審な点は?」  伊達の問いに助手席の部下がすかさず「ありました」と答えた。 「二十一時ごろ、港沖で三匹のメス人魚に遭遇しています。メスは二匹が十二歳、一匹が十三歳、すべてポッドA所属です。潜くんとメスの集団は合流後、南西へ向かい迷いなく進んでいます。三十分かけて現在地に到着。十五分ほど潜くんがメスを追い回したのち、メス三匹が潜くんを残して離脱。彼女たちはそれぞれ別ルートで砂浜に帰っています」 「まさか、一人でハーディングを仕掛けたのか?」 「それは無茶でしょう」 「無茶でも、彼はオスの流儀をまるで知らないからね。無知のまま目の前の欲に駆られたか。あ、ハーディングっていうのはね、オスの集団がメスを家族(ポッド)から引き離して孤立させ、交尾に誘うことだよ。誘うっていってもだいぶ乱暴にするから、時にはメスから反撃をくらうこともあってだね……」  伊達は友一郎に向けて解説すると、スマホを取り出して画面をスワイプした。 「潜くんはメスにやられて、動けないほどの傷を負ったのだろうか。ラボに残ったメンバーを港に待機させよう。(とおる)くんに船を出してもらって、島のダイバーに応援要請もしよう」    ワゴンが港に到着すると、すでに漁師達が集合して船の準備をしていた。ダイバーも数名が岸壁で装備の確認をしている。 「牡蠣(かき)の養殖場っすね」  徹は伊達のタブレット画面を見て言った。 「なんでだ? あそこには近づくなって、口が酸っぱくなるほど言ったのによ」  年配の漁師が口を挟んだ。 「とにかく、もう十時間以上、彼はそこから動かないんです。怪我をしているかもしれません。はやく助けに行きましょう」  伊達の言葉に漁師達は一斉に動きだした。漁師の半数は伊達の部下の指揮のもと、搬送されてくる潜の受け入れの支度をはじめた。残りの漁師たちは小型漁船に乗り込む。友一郎も伊達とともに乗船した。まもなく漁船は出港した。その後にそれぞれ三人のダイバーを乗せたボートが二隻続く。

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