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友一郎 ⑩(下)

 風ひとつなく、海面はベタ(なぎ)。強い直射日光が照りつけてくる。船上の人々の表情は一様(いちよう)に険しい。  友一郎は島がどんどん小さくなっていくのを眺めた。伊達に巻き込まれる形で船に乗り込んでしまったが、船上で自分ひとりだけが何もできることがない、ただの足手まといだ。 「半島で人魚の腕が見っかったってな」  同乗している漁師たちがひそひそと言葉を交わす。 「おぉ。おそらくサメの仕業だ。人魚の群れを追ってきたに違いねぇ」 「観光客が増える今の時期に、厄介なことだ」 「オス人魚の群れもこの海域に近づいてるって話だ。メスだけなら可愛いもんだが、オスはなぁ」 「どいつも潜みたいなひょうきん者ならいいんだがな」 「巡視船が見てっから、追い出すわけにもいかねぇ」  島生まれの漁師たちも、漁業従事者にとっては厄介者のはずの人魚のなかで、潜のことだけは特別視している。愛嬌のある潜をかわいいと思わない人は滅多にいないのだ。  やがて水平線上に木組みの平たい(いかだ)が見えてきた。ずらりと並ぶ養殖筏をいくつも見送るが、潜の居場所にはなかなかたどり着かない。 「まだ先っすかね?」 「いいや、あともう少しだ」  ついに養殖場の一番外れまでやってきた。 「潜ーっ!おぉい、潜よーう!」 「どこだぁ、潜ーっ!」  船の縁に掴まり、漁師たちは口々に叫んだ。最後の筏の一番端までくると、船は左に向けて大きく旋回した。すると、筏の木組みの下に引っ掛かっている潜の姿が見えた。 「いた、あそこだ!」 「おおーい、潜ぃーっ、生きてるかぁー!?」  ベテラン漁師の野太い声に、潜がぱちっと目を開いた。船のエンジン音にかき消されてしまうが、潜も何か叫んでいる。 「よかった、無事だ」  船がその場に停まり、後続のボートからダイバー達が海に飛び込んでいく。まもなく彼らは潜のもとに泳ぎ着いたが、潜を筏の下から動かすことができないようだ。ダイバーの一人が友一郎達の船まで泳いできた。 「ナイフを貸してくれ。髪が筏にからんで身動きが取れなくなってるんだ」  数分後、ダイバー達は潜の両脇をささえて船まで戻ってきた。船上の漁師達が協力して潜を引きあげる。やっとのことで甲板に寝かされた潜のもとに、ダイバーの一人がすがりついた。 「潜、しっかりして」  昨夜、潜の歌にウクレレの伴奏をした女性だ。  取り囲む人々をかき分け、伊達が潜を診察する。瞳孔を調べ、脈拍をみる。友一郎は何もできずに離れたところに立つばかりだ。これまで海の、自分の故郷のことに何の関心も持たずに生きてきたせいで、潜の命の危機に際して、自分だけが何もしてやれない。潜に合わせる顔がない。なのになぜ自分はここにいるのか。そう思ったとき、 「友一郎」  潜の(ささや)きに、皆が一斉に友一郎の方を見た。 「ありがとう、助けに来てくれて」  と、潜は友一郎の方に手を伸ばそうとする。人々が友一郎のために場所を開けた。友一郎は潜の枕元に膝をついた。 「俺は何もしていない」  ぼそりと友一郎は呟いたが、潜は友一郎の手に両手ですがりつき、「こわかったよぉ」と、彼の手のひらに頬ずりをした。

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