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友一郎 ⑪

 人魚の肌は人間の十倍以上も新陳代謝が速く、放っておくとすぐに垢じみてしまう。肌にこびりついた垢は、健康にも泳ぎのスピードにも悪影響を及ぼすので、ぜひ垢すりを行うべきだ。垢すりにやり方やコツというものはなく、ただ(かづき)が心地よいと感じる程度にこすってやればいい。  なにも難しいことはないと、伊達(だて)は言っていたが……。友一郎(ゆういちろう)は潜の肌をこする手を止めた。なぜか潜は変なスイッチが入ってしまったようで、ネズミ色の頬を紅潮させ、シーツの下で身体をくねらせて、キュイッ、キュイッっとかん高い声を上げた。 「変な声出すなよ」 「変な声って? きゃはっ! あ……んっ、んっ……あんっ……やっ!」 「嫌ならやめるか?」 「やだぁ、ちゃんと最後までしてぇ!」  これではまるで垢すりではない何かだ。  友一郎はベッドの縁に両手をつき、深呼吸をした。潜の言葉には裏もなければ含みもないはず。こいつは単に、極度のくすぐったがりなだけだと自分に言い聞かせる。  しかし、これを最後までやらなければならないとはキツいな、と思いつつ、友一郎は天井の隅を見上げた。  監視カメラがある。天井のカメラはそれ一つだけではなく、全アングルから室内を捉えられるよう複数設置されている。しかも床にまで、円筒型のボディーに巨大な目玉を乗せたような形状の自動追跡カメラがある。これらの監視カメラによって、伊達は室内の映像をリアルタイムで視聴できるという。下手なことはできないわけだが、伊達に命じられた通りにすること自体がすでに「下手なこと」になりつつあるのは、どうしたものか。  友一郎は畳んだ濡れタオルを持ち直し、潜の鎖骨の上に当てた。潜はキュゥと喉を鳴らし、寝返りを打つ。そして期待のこもった目で友一郎を見上げ、まばたきした。 「それじゃ拭けないだろ……。まあいい、そのままうつ伏せになりな」  横向きになっていた潜の背中を友一郎は手で押し、うつ伏せにさせようとした。潜は胎児のように背中を丸めた姿勢から、膝を立てて尻をつき出す恰好になり、上半身をうつ伏せた。 「こらっ」  友一郎が潜の尻を叩き、潜に脚を伸ばさせた。そして彼の腰の上に(また)がり、シーツを引き下ろした。青い縦すじ模様に彩られた背中が(あらわ)になる。長かった髪が昨日の事件の際に(うなじ)のところでざんばらに切られてしまったせいで、首から肩を覆う、つややかで深い藍色がよく見えた。  なかばやけくそで、友一郎は藍色の肌を強めにこすった。弾力のある肌の下の、骨や筋肉の堅牢さとしなやかさ。一見のっぺりとして見えるが、海流に洗われて引き絞られた、野性味のある身体つきだ。  タオルが濃藍(こいあい)色に染まっていく。潜は背中が押されるたびにふっふっと息を吐くだけで、先ほどのような嬌声は上げない。心地良さそうに目を閉じておとなしくしている。  こんな仕事をひとに押し付けて、伊達は一体なにを考えているのだろう、と、友一郎は潜の背中をこすりながら思案した。  精神的に幼い潜の成長をうながし、オスの群れ(バンド)に彼を入れたいのだと伊達は言った。なぜかオス人魚を嫌厭(けんえん)する潜を、まずは友一郎(ヒトのオス)で慣らす。もしかすると、この垢すり作業もその一環なのかもしれない。でなければ、なぜわざわざ監視のもとでこんなことをさせるのだろう。  ふれあうことで心を開かせようというのか。そんなことをしなくても、人と人とは仲良くなれるはずだ。人魚は違うのだろうか?  いつもそばにいて、だが決して一定距離内には互いに立ち入らなかった親友のことを、友一郎は思った。彼の部屋に泊まった夜、ほんの数十センチほど離れた寝床に大翔(ひろと)の華奢な背中はあり、友一郎はその背中に背を向けて横になっていた。そのままの姿勢で二人は色々な話をした。他人には言えないような、心のうちを(さら)けだした話だ。  体に指一本触れなくても、人は分かり合える。いや、実はそうではないから、大翔は孤独に死んだというのだろうか。  背中をすっかりこすってしまうと、真っ黒になったタオルを友一郎は床に放り、新しいタオルを水でしぼって、今度は脚にとりかかろうとした。 「お尻もやってよ」  潜が頭を上げて抗議した。 「自分でできるだろ」  そうだ、人魚はイルカやクジラと違って人間のような長い腕と脚があり、体も柔軟だ。自分で拭けないのは背中の真ん中くらいか。いや、もしかするとそこだって、潜ならば平気で手が届くのではないか。 「友一郎にやって欲しいんだよ」  潜は甘ったるい声で言った。しょうがないヤツ、と友一郎はしぶしぶ言う通りにする。潜の臀部は小ぶりだが、筋肉と皮下脂肪が厚く着いている。まるでスポーツをやっている女の子のお尻を触るようで、友一郎は落ち着かなさを感じた。  それから脚だ。のびやかな脚はほとんど黒に近い色をしているため、細くなだらかで女性的な曲線美に見えるが、触れてみると競輪やスピードスケートの選手のように(たくま)しい太腿(ふともも)をしていた。サメすら蹴り殺すほどの筋力を持つといわれるこの脚を、(かづき)は優雅に持ち上げて、たちまち太腿のあいだに友一郎の腰をとらえた。 「なっ、なんだよ」 「もっとくっつきたい」  そうささやくと、潜はいつものように唇の両端をくるんと丸めて引き上げた。上唇の先がつんと尖っていて、小鳥の(くちばし)を思わせる。じっと見つめてくる目の瞳孔が限界まで開かれる。  潜は自らの脚の間を友一郎にこすりつけるように、腰を揺さぶった。友一郎の腰と潜の脚の間がぶつかる。 「こら、やめないか!」 「誰もいないんだからいいじゃない。オレ、この間の続きがしたくなっちゃった」

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