29 / 53

潜 ⑪

 さんさんとふりそそぐ夏の日差し。砂浜にはハマナスとハマヒルガオが咲きほこっている。海水浴場は、朝から観光客でごった返しだ。  人魚たちにとっても待ちに待った海開きのはずだったが、女の子人魚たちは肩すかしをくらい、隅の方に固まって泳いでいる。遊びにきた人間は小さな子供を含めた家族連ればかりで、人魚には興味がないか警戒しているかで、近づいてこようとしない。女の子人魚たちにとっても、魅力的な若い男がいない人間の集団に、わざわざ近づくメリットはない。  (かづき)が波に浮かんで(くつろ)いでいると、目の前にビーチボールが落ちてきた。ボールの一部は透明で、中に小さな鈴がいくつか閉じ込められているのが見える。鈴はチリチリとかわいらしい音をたててボールの内側を転がっている。潜が鈴に目を奪われていると、背後から「すみませーん」と声がかかった。 「そのボール、取ってくださいませんかー?」  人間の女の人だ。潜は「いいよ」と言ってボールを取り、立ち上がった。波打ち際から潜を呼んだ女性は二人組で、二人とも生まれて初めて日に当たるかのように色が白く、そしてほとんど裸に近いくらいの布の小さい水着姿だった。二人は目をまんまるくして潜を見上げ、そしてまばたきした。顔のわりに長身とはよく言われることなので、潜は気にせず口角を丸めて笑ってみせた。  彼女たちは潜が手渡したボールを受けとると、 「人魚のかただったんですね。てっきり人間かと思いました」  と言った。人間と見間違えられるのはこれで三度目だ。人魚のトレードマークの長髪を失い、ざんばらに切られただけだった襟足を、ミヤコちゃんの友だちに整えてもらった。そのせいだろう。  潜も新しい髪型がお気に入りで、すっきり刈られた後頭部を水掻きのある手で撫でた。長い髪がないと背中が乾いてしかたないが、人間の女の子たちにキラキラとした目で見上げられるのは、悪い気はしない。 「良かったら一緒に写真撮ってください」 「いいよ」  二人の女性のうちの一人が通りすがりの人をつかまえてスマホを託し、撮影を頼んだ。潜は海をバックに、女性二人の間に挟まれ彼女らの肩を抱いて写真を撮られた。  そんなことをしていると、森の方から友一郎(ゆういちろう)が現れた。彼は「あっち」と海の右側のほうを指している。そちらには磯と崖があって、その向こうに遊泳禁止の砂浜がある。昔は地元の漁師が船着き場として使っていたようだが、今は壊れかけた桟橋の近くに古ぼけたボートがいくつか放棄されているだけで、あとは石ころ以外何もない。友一郎はくるりと背を向けて森に歩いていった。むこうの入り江まで泳いでこいということだろう。  潜は海に入り平泳ぎで泳ぎだした。友一郎の指した入り江に向かう途中、女の子人魚たちのたむろする磯を通りかかった。彼女たちは恨めしそうな目で潜をにらんだ。  入り江の、ぼろぼろになった桟橋のところで友一郎は待っていた。この暑いさなか、釣り人みたいに着込んでいる。オレンジ色の小舟が用意されている。久しぶりに一緒に舟で遊べるのだ。  風が少し吹いている。波はといえば、風の弱さに見合わない高さで、友一郎の舟は上下に大きく揺れ、波に翻弄されてしまいそうだ。「わっ」と友一郎が小さく声を上げる。潜はころころと笑った。 「大丈夫。もしひっくり返ったら、友一郎はオレが助けてあげるから」  遠くの沖に大きな船が航行している。島の人たちが「巡視船」と呼ぶ船だが、海上保安庁のものではない。自衛艦でもなければよその国の軍艦でもない。結局、あれが一体何者で、何のためにこの湾内をうろついているのか、誰も教えてくれないので、潜はいまだにその正体を知らないままだ。  潜たちのいる地点から巡視船までは相当な距離があるが、潜は念のため、友一郎の舟の陰に隠れた。  やがて二人は秘密の入り江の近くにやって来た。その付近の海流は複雑で、しかも入り江の前を柱のように立つ岩々が守っている。その隙間を友一郎の舟が通れるか、潜は少し心配だったが、友一郎はあんがい苦戦せずにそこを通り抜けた。 「ちょっとしたプライベートビーチだな」  友一郎は狭い砂浜に立つと、周囲を見回し、感嘆した。プライベートビーチ。こじゃれた言い方を潜はとても気に入った。 「いいでしょう?」 「あぁ」 「沖の方からここは見えないし、女の子人魚たちも来ないし、かーんぺきに、オレたちだけの場所。さあ、遊ぼうよ!」  潜が促すと、友一郎はうなずいて、ライフジャケットと薄い上着を脱いだ。友一郎はいつも着込んでいるので、潜は彼の半裸姿を初めて見た。当たり前だが人魚とはだいぶ違う。ところどころ毛が生えているし、でこぼこしている。しかも砂浜で一緒に写真を取った女の子たちのように、肌の色が白い。  彼の色白で筋ばった手を引いて、潜は浅瀬へと連れていった。ほんの数センチしか水深のないところにも小魚が泳いでいる。フグの赤ちゃんを捕まえて見せてやると、友一郎は潜の手のひらの上でいっぱしに丸く膨らんだフグの赤ちゃんに目を見張った。  友一郎は島育ちなのにろくに海で遊んだことがないという。だから潜は砂に潜るハゼをほじくり出してみせたり、友一郎の両手をとって沖の方へ向かって泳ぎ、甘藻の群生のヌルヌルした感触で彼を驚かせたりした。

ともだちにシェアしよう!