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友一郎 ⑭(下)

 画面上の(かづき)がやっと動き出し海水浴場に向かっているのを見届けてから、友一郎は急いで帰宅し、財布を持って家を出た。観光客向けにフェリーの本数が増えているとはいえ、午前中に半島へ向かう便は少ない。  出港ギリギリに飛び乗った船は、案の定がらがらに空いていた。友一郎はデッキに出て手すりにもたれ、海を眺めた。ウミネコが船を追いかけてくる。少し横風があるが、海面は昨日ほどは荒れていない。  この湾内にオス人魚達の群れ(バンド)が複数侵入してきたかもしれないと、今朝、伊達が言っていたが、海中にそれらしい影は見えない。それもそのはず、たいがいのオス人魚は潜とは違い人間には馴れず、人目につかない深いところを泳いでいることが多いからだ。  伊達はオス人魚達のコミュニティに潜を(かえ)すチャンスが来たと喜ぶ一方で、潜がオス人魚たちに何か意地悪をされていないか心配していた。オス人魚の多くが発信器を着けていないので、もし潜がその「見えない連中」に絡まれていても、動物位置情報システムからそれを知ることは難しいらしい。  半島の港からはバスでショッピングモールに向かった。バスを降りると、島や海上とはうって変わって鬱陶しい熱気が体にまとわりついてきた。  友一郎はホームセンターに入り、アウトドア用品のコーナーを物色した。お目当ての品はポップアップテント。二人で余裕をもって寝そべることができて、紫外線をよく防ぐもの。軽くてコンパクトに畳めて持ち運びしやすく、畳んだ状態でカヤックのハッチに入るくらいの大きさがいい。  要求が多すぎだろうかと友一郎は少し心配だったが、ちょうどいい物が売り場の中央に展示されていて、在庫もあった。  展示されているテントの中をのぞくと、ランタンを提げるためのフックがさがっていた。秘密の砂浜で夜明かしができればいいのだが、満潮になれば足を濡らさず立てるようなスペースもなくなるような場所だ。ほんの少しの時間、潜の肌を日光に(さら)すことなく横になれればいいだけなので、これは少し勿体ない品かと思う一方、ファスナーで隙間なく閉じられる蚊帳(かや)と大きな(キャノピー)が着いているのが魅力的だった。しばらく考えたのち、彼は結局そのテントを買うことにした。  ふと、友一郎は思った。虫除けスプレーや蚊取り線香もあればいいかもしれない、と。だがそれらは人魚には害はないのかと気になって、彼はポケットからスマホを取り出し、その場で検索したが、やはりそんな情報はあるわけもなかった。後で伊達に聞いてみようかと思ったが、そうすれば伊達に二人だけの秘密がばれるだろうと思い直した。  店を出たとき、一瞬強い風が吹いた。盛夏の熱気の中にも秋の気配を感じさせる風だった。この地方の夏は東京に比べてかなり短い。子供時代には気にも留めなかったことだ。秋を告げる風の肌感はむしろ東京に暮らしている頃に覚えた。  荷物を抱えてバスに乗り、港に戻ると、沢山の観光客がフェリーを待っていた。相変わらず多くが家族連れだが、若い男性だけのグループもいくらか含まれていた。どう見てもマリンスポーツの経験がありそうではない男達が、ハンディカメラ片手に実況をしながら歩き回っている。おそらく、島に逗留しているメス人魚目当てで来たのだろう。  外国人観光客のツアーもいる。彼らは島ではなく半島の先の方にある海洋博物館に行くようだ。昔、そこは水族館だった。友一郎は幼い頃に母に連れて行かれ、そこで初めて生きた人魚を見た記憶がある。今、博物館に展示されているのは、鯨やイルカの骨格標本や、湾内で昔行われていた捕鯨や人魚漁の史料くらいだろう。  帰宅してみれば、玄関先でたわわに実をつけた茄子の鉢にタマじろうが体をこすりつけており、ポストにはいくつもの大判封筒が押し込まれていた。事前に不動産管理会社から連絡を受けていたものの、こんな一度に来なくてもと友一郎は思った。  買ってきたテントの梱包(こんぽう)をさっそく開封してみたいところだが、その前に、書類仕事を片付けなければならないだろう。

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