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潜 ⑭(上)

 砂浜のあちらこちらから、けが人のうめき声やすすり泣きが聞こえてくる。だが海は、人魚たちの争いなどまるで最初からなかったかのようにふるまっている。  海というものはいつだってそうだ。みずからの胎内にひしめき合う生き物たちがなにをどうしていようが、まったくのおかまいなし。自分のペースを崩すことなく、波を寄せて返し、海水を流し、潮汐を繰り返すだけ。そしてすべての痕跡を消してしまう。  先ほど、みぞおちをしたたかに蹴られて(かづき)が吐き戻してしまったものも、あらかた流されていった。ただ、なかば噛み崩した魚の頭がひとつ、膝の近くに埋まっている石ころに引っかかっていて、虚ろな目で潜を見上げている。滴る鼻血が水面(みなも)を赤く汚したが、その赤色もまた、すぐ波に散らされた。 「結局のところ、」  まるで洞窟を吹き抜ける風のような、ため息まじりのささやき声が言った。 「さきほどの威勢の良さも、相手を選んでのもの」  いわゆる多勢に無勢というもので、潜は秘密の場所を侵犯した連中をあらかた倒したと思ったところ、あとから来たささやき声の群れ(バンド)に圧倒された。今、潜を取り押さえているのは、最初に絡んできたガラガラ声と赤銅色の仲間たちだ。彼らはささやき声が加勢にくる直前までは、いまにも潜の膝にすがりつき、泣いて命乞いをしそうだったのに、形勢が逆転するや調子づき、捕らわれた潜を拘束する役をみずから買ってでた。 「半端者ばかり、ぞろぞろと上がってきたから、烏合の衆と思って(あなど)り、我々のようなより強い者があとから来ると、思わなかったのだろう?」  ささやき声の足音がざぶざぶとこちらに近づいてくる。ささやき声の手下たちが浅瀬に膝をついて(こうべ)を垂れた。潜は両腕をしっかり捕まえられているが、身をよじってささやき声に抗議した。 「ひとを卑怯者あつかいするな!」  すぐさまガラガラ声の仲間が潜の頭を小突いた。 「お前、(あまね)さんに向かってなんて口のきき方だっ」  海水に顔が浸かりそうなほど、後ろ頭を押さえつけられた。水底の小石に引っかかっていた魚の頭はどこかに流れていき、かわりに周と呼ばれた男の大きな足の爪先があらわれた。 「お前がどういう者かなど、決めるのは他人だろう。この場合は私だ。ま、私は先ほどのお前の態度をもって、お前を卑怯者とは呼ばん。案外まともな判断力があるようだと思っただけだ。顔を上げろ」  頭を押さえていた手が引っ込む。潜はおずおずと顔を上げた。細い三日月形の瞳孔の刻まれた目が、冷ややかに潜を見おろしている。つり上がった目のまわりは鉄紺(てつこん)色の、(まなじり)が鋭く尖った形に隈取られている。端正なかんばせは全体が青灰色で、額や頬、鼻すじに、目のまわりと同じ色の模様がある。固そうにとげとげした豊かな黒髪は、毛先が膝裏にまで達するほど。たくましい長身も、顔と同色で複雑な模様にいろどられている。  潜は恐ろしさのあまりにぶるっと身震いをした。すると潜を取り押さえている奴の一人が、めざとく言った。 「こいつ、ビビって小便漏らしてますよ」  取り囲む人魚たちは嘲笑(あざわら)ったが、周が鼻で笑った途端、しんと静まりかえった。

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