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友一郎 ⑮(下)
「やべっ、エンジンだ!」
エンジンが「猿人」のことだと気づいたのは、男達がものすごい素早さで次々海に飛び込んでいくのを見てからだ。なるほど、人魚からみれば人間 の方こそ猿人 かと、友一郎はちょっと感心してしまう。
オス人魚達は逃げるかと思いきや、少し離れた所でなにやら話し合っている。友一郎はその隙にカヤックを岸壁のところから砂浜と土の地面の境界まで引き上げた。この、ほんの数メートルの移動で友一郎の身は安全になる。人魚の足では、熱々に焼けた砂浜を歩いてこれないからだ。
ところが、一匹の人魚が群れを離れて砂浜へ上がってきた。波打ち際から、乾いた砂の上まで歩いてくる。砂の熱さに「あちっ!」と飛びあがったが、火の中を鋼鉄の靴で踊るよう強いられているかのようにぴょんぴょん跳ねながら、彼は友一郎を指差し、近づいてくる。
「猿人、猿人! クスリ、クスリだっ。クスリをよこせ!」
「薬だと? 誰か怪我人か病人でもいるのか?」
友一郎は叫び返しながら後ずさりした。
「そうだよぉ、いるんだよ。あちっ、うわ、あっち! 怪我だよっ。だから四の五の言わずにクスリをよこせっ。あっちー! もう無理だぁー!」
人魚はみずからの身長の半分くらいの高さまで跳躍しながら海へと後退しつつ、今度は岸壁の突端を指差した。そこに一匹の人魚がもたれかかっており、周囲に仲間達が心配そうに群がっているのが見える。
友一郎は岸壁の上を突端まで歩いた。人魚達が群がる場所まで来ると、人魚達は一斉にぞろりと顔を上げ、友一郎を見た。どの人魚も眉や髭がないが、潜のような人間離れした模様のある顔ではなく、メス人魚達のような、人間によく似た肌色をしている。
「怪我を見せてみな」
友一郎が言うと、岸壁につかまっている人魚がうめきながら顔を上げた。
「これは……」
鼻がすっかり潰れてしまっていて、顔の中心全体が腫れている。もしかすると前歯も折れているかもしれない。
「薬では治せない。医者を呼んでやるよ」
人魚達がざわつくのを尻目に、友一郎は首にかけていたスマホを手に取り、操作した。
「ダメだダメだ。猿人の世話になるなら死んだ方がマシだって」
「は? てめぇ、俺に自分のツガイを見捨てろっていうのかよ!?」
呼び出し音が何度も鳴るが、伊達 はなかなか電話に出ない。そうこうするうちに、友一郎の足もとでは人魚達が揉め始めている。
「落ち着け。人魚専門の医者を呼んでいるから」
「てめえ猿人この野郎! 次に俺らを魚よばわりしてみろ、ぶっくらして海に沈めてやっかんな!」
「すまない。とにかくお前達のために働いてくれる医者が来るから、すまない!」
一分くらい経って、やっと伊達が電話に出た。友一郎はスマホを当てていない方の耳を指でふさぎ、人魚達の騒ぎに負けないよう、声を張り上げて状況を説明しなければならなかった。
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