39 / 53

友一郎 ⑯

 二十分ほどで伊達(だて)は廃漁港に到着した。彼は助手だけでなく(とおる)など島の若手漁師まで応援に呼んでいた。  伊達はいつも通りフレンドリーだが、メスの人魚たちと相対するときよりもどこか緊張した面持ちで、しかし手際よく、怪我をした人魚の診察を行った。オス人魚たちは案外大人しくそれを見守っていた。ところが、 「彼を僕のラボに連れて行ってもいいかな? 精密検査をしたいし、手術も必要になると思うから」  と伊達が言ったとたん、人魚たちはざわついた。そして間もなく、友一郎が伊達を電話で呼び出している最中と同じように、激しい言い合いを始めた。だが、 「もしかすると、脳に損傷があるかも」  伊達の一言に人魚たちは震え上がり、急にまた大人しくなった。結局、人魚たちは猿人(にんげん)の世話にはならないという意地を捨て、仲間の命をとった。伊達の指示により、人魚と人間とで協力して、負傷した人魚を砂浜に上げ、担架に乗せた。  (おか)に上がってきたオス人魚たちを見て、友一郎は息をのんだ。彼らは全員が全員、(かづき)よりもはるかに体格がいい。ふざけて絡みついてきたときの潜の腕力の強さを思えば、こんな奴らに本気で飛びかかられたらひとたまりもないだろう。どうりで伊達が多くの人手を集めてきたわけだ。  一匹の人魚が担架に乗せられた仲間にすがりついた。先ほど薬をくれと友一郎に迫ってきた人魚だ。 「俺もいっしょに連れてってくれ。俺はこいつのツガイなんだ」  彼の言う「ツガイ」という単語が、ようやく友一郎の脳内で「(つがい)」という漢字と結びついた。オス同士で番とは? 疑問に思ったが、このタイミングで伊達に質問をするのは(はばか)られる。  重たい人魚を乗せた担架は数人がかりで運ばれ、番の人魚とともに専用の輸送車に乗せられた。    海に漕ぎ出すには少し遅い時間になってしまった。それでも、日が沈むまでにはたっぷり時間がある。友一郎はカヤックを海に押し出した。 「今から出るんですか?」  徹は眉を少しひそめたものの、友一郎がうなずくと、すぐにいつもの爽やかな笑顔を見せて「お気をつけて」と言った。  風が少し強まり波がやや高いが、友一郎のカヤックは矢のようにまっすぐ進んでいく。遠い海上を巡視船がゆっくりと進んでいるのが見える。負傷した人魚が伊達のラボに搬送されていくのが巡視船からは見えただろうかと、友一郎はいやに大きな船体を横目で見て思った。  岩々のあいだを抜け、小さなプライベートビーチに入ると、潜が砂浜の隅にしゃがみ込んで砂遊びをしているのが見えた。こんもりと砂を盛ってこしらえた山の下を、水掻きでせっせと掘って、どうやらトンネルを作っているようだ。 「潜、」  友一郎が呼びかけると、潜はびくりと顔を上げ、そして砂山の背後に隠れるように上半身を伏せた。友一郎はカヤックを砂浜の奥まで引き上げてから、潜の方へ歩み寄った。  潜は体じゅう砂まみれで、砂山のそばに伏せている。四つん這いで胸を砂につけ尻を上げて、警戒中の猫のようなポーズだ。 「潜」  砂山を中心として、友一郎が右に動けば潜は右にまわり込むし、友一郎が左に動けば潜は今度は左に逃げる。  時計まわりと反時計まわりを忙しく切り替え、おいかけっこを繰り返すうちに、潜はだんだん楽しくなってきたのか、キュッキュと声を上げたが、だからといって友一郎ははぐらかされなかった。とうとう友一郎は砂山を踏み越え、潜を捕まえた。  潜は手で顔を隠した。それは友一郎が踏んで飛び散った砂から顔を守る仕草に見えるが、そうではない。 「ダメだ、ちゃんと見せろ」  友一郎は少し荒っぽく潜の手首を引っ張った。振り乱された潜の髪から砂粒がぱらぱらと落ちる。ちょうど真ん中に分け目がある前髪は、すっかり乾いて強めのウェーブがかかっていた。向かって右側の頬と唇の端がむごたらしく腫れ上がっている。 「これは、誰にやられた?」 「だ、誰にも。よそ見して岩にぶつけただけ。嘘じゃないよ!」  だが、潜の眉間に刻まれた深いシワがそれは嘘だと雄弁すぎるほど雄弁に語っている。  友一郎が潜の手首を握る手を強めると、潜は手をほどこうと(あらが)った。しかし本気は出していない。潜の腕力ならば、友一郎など簡単にふりほどける。そもそも、潜はいくらでも友一郎から逃げられるはずだ。海に飛び込んでしまえば、友一郎が潜に追いつくことなどあり得ないのだから。なのに、潜はそうしなかった。 「わかった、事情は聞かない。怪我だけ見せてくれないか?」  友一郎はそうっと手の力をゆるめた。すると潜の顔が、見る間にくしゃくしゃに歪んでいく。 「うあ……!」  潜はまるで幼い子供のように、声にならない泣き声を上げた。

ともだちにシェアしよう!