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友一郎 ⑱(上)
郵便局で、友一郎 は思いがけずミヤコに出会った。彼女はダイバーで、夏期限定で観光客相手にダイビングを教えている。友一郎はミヤコとは飲み会のときに二言三言話したくらいだった。だが、ミヤコはまるで久しぶりに会う同級生に対するような気安さで話しかけてきた。お決まりの天気の話題から、いきなり愚痴をたたみかけてくる。
なんでも、ミヤコは新しいダイビング体験プログラムを企画したらしいが、それを漁協に申請したところ許可がおりなかったという。
『人魚と泳ぐダイビング体験』
そのタイトルだけで企画倒れ間違いなしというのは、部外者の友一郎にもわかる。人魚を商用利用している、あるいは、人魚を無償労働に駆り出している。漁協の断り文句はそういったものだろう。
溜まった鬱憤をすべて吐き出してしまうと、ミヤコは今度は友一郎にダイビングを習わないかと誘った。
「伊達 さんからもね、もしよかったら友一郎さんに教えてくれないかって言われてるの」
たしかに、友一郎は伊達から、
「君も僕の部下ならば、潜水士の資格くらいは持っていて欲しいな。百歩譲ってダイビングライセンスは取ってくれ」
などと説教をされる。友一郎としては、そもそも伊達の部下になった覚えがないのだが。
ミヤコは別れ際に、「最近、潜 に会った?」と聞いてきた。友一郎が今朝会ったと答えると、ミヤコは眉をひそめて「そう……」とつぶやいた。
友一郎はミヤコと別れたあと、漁港の方に足を向けた。漁港になど用はない。ただ、まっすぐ家に帰ろうとすれば、しばらくミヤコと一緒に歩くことになるので、それを回避するために歩く方向を変えたまでのことだ。
だが、と友一郎は歩きながら考えた。もしもダイビングができるようになったら、潜 が泳ぐ姿を海中で眺められるわけで、それはそれで面白そうだ。
問題は、夏は短いということ。人魚は夏の終わりとともに南の海なり外洋なりに帰ってしまう。潜と遊べるのもあとひと月かそこらのことだ。さよならしてしまえば、次に会えるのはまた来年の春の終わりごろになる。しかし、人魚は毎年同じ場所に来るとは限らない。今年は例年に比べて海が温暖であるらしく、だからこの海域にまで人魚が北上してきたのではないかといわれている。
ひょっとしたら、この夏は潜と過ごす最初で最後の夏なのかもしれない。ダイビングの講習を受けている暇があったら、その時間を潜と遊んで過ごしたい。
漁港にはフェリーや遊漁船の出港を待つ観光客がちらほらいて、船揚場 の辺りには、動画配信者らしいハンディカメラを携えた若者のグループがいた。岸壁にはもう仕事を上がったらしい徹 がいて、コンクリートの縁 にしゃがみ、海面に向かって話していた。その様子は一見不可解だが、近づいてみれば、徹のいる岸壁のすぐそばの海面に、ひとが何人か顔を出している。メスの人魚たちだ。徹は彼女たちと話していた。
メスの人魚たちが行儀よく横二列になって海面に顔を上げているさまは、水族館の展示ショーでトレーナーからの指示を待つイルカたちのようで微笑ましい。ところが、彼女たちが徹に何を言っているのかといえば……。
「ねーえ、本当にどうしてもダメなの?」
「うちら絶対に、あんたに迷惑をかけたりしないよ」
「子供ができたって、あんたに育ててなんて言わないよ。ちゃんとうちらで育てるよ。ニンチだって要らないし」
「だからいいでしょ、一回くらい抱いてくれたって。ほんのちょっとの間でいいんだよ」
「そうそう。ちょっとでも気持ちいいよ」
赤裸々な懇願を人間の男相手にするメス人魚たちを、動画配信者たちは面白がって、少し離れたところから録画している。船を待つ観光客も、何ごとかと遠巻きにざわざわしはじめた。
「ごめん、無理」
当然、徹はあっさりと断った。するとメス人魚たちは海面でぴょんぴょんと上下しながら「えーっ」とブーイングした。
「ルールがあるから? そんなの破っちゃえばいいじゃん」
「そうだよ、言わなきゃバレないし」
「うち、あの大きなお船には見えない場所知ってるし。そこでやろうよ」
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