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潜 ⑰(下)

「こちらはせっかく、お前が腹を空かせているだろうと思って、余分に魚を捕ってきてやったというのに」  と、冬の洞窟を通り抜ける北風のような、虚しいため息をついてみせる。 「その魚はどこから捕ってきたんだよっ」  潜は腹這いのまま言い返した。 「それはどういう意味だ」  (あまね)は白々しくささやくと、口の端を上げた。  潜は鼻にしわを寄せ歯を剥いた。島の漁師たちのあの態度。周の群れ(バンド)の奴らが漁師の仕掛けた網を破り魚を盗んだに違いない。男の人魚たちが女の子人魚たちを求めて沿岸に近づいてくるとき、もののついでとばかりに人間の漁場を荒らすことはよくある。例年なら、潜は男の人魚たちと人間との争いごとが始まる前にそそくさと河岸(かし)を変えるところだが、今回は島から離れ難くてぐずぐずしているうちに、長居をし過ぎてしまった。 「どうせ、我々が人間どもから魚を盗んだと思っているのだろう?」  周は左右対称に口角を引き上げて、慈愛に満ちたような顔になる。 「それは違う。人間が勝手に海に境界線を設けたつもりでいるだけのことだ。海は人間のものではない。我々海神(トリトン)のものだ。海神が海のものを好きに捕るのは当然のこと」  潜が反論するのを周は許さず、潜の頬を気の済むまで平手で打った。顔を砂に打ちつけられるように手を放され、潜はべたっとぬかるんだ砂にうつぶせた。それでも潜は、 「ふざけんなよ。誰がお前のいうことなんかきくか……」  と、せめて口で反撃した。  ふふっと周が嘲笑う。潜は周の顔に砂を投げつけてやろうと思い、拳をにぎりしめたが、そのとき、ぐぅ、と腹が鳴った。無理もない。沖まで出ないとろくに獲物は捕れないというのに、潜はずっと男の人魚たちに占領されている沖を避けていたので、今朝食べたものといえば、伊達(だて)くんから健康観察に参加したご褒美にもらったイワシ一匹だけだ。それに、今目の前にちょうどいい魚が泳いでいたとしても、島の漁師たちから無視されたショックで、どんな小魚でも喉を通りそうにない。 「やはり腹が空いているのではないか」  嬉しそうに周は言うと、潜を抱き起こし、顎を掴んで口を開かせた。 「私はお前に意地悪をしているのではない。無知な(つがい)をしつけてやっているだけのこと。ほら、食べるがいい」  周は潜の口に口をぴったり合わせると、吐き戻した魚を潜の喉に流し込み、潜がそれを全部飲み下すまで、頭と顎をしっかり押さえつけた。

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