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友一郎 ⑲

 セミの鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。友一郎は玄関先しゃがみ込んで、今朝し忘れた鉢植えの茄子の収穫をしていた。最近、茄子をもぎるコツをマスターし、うっかりヘタを割らず、自分の指をトゲで傷つけず、上手に取ることができるようになった。つやつやした実の表面を親指でなぞるとき思い出すのは、(かづき)の頬の手触りと、キュップイッという風変わりな鳴き声だ。  立派な茄子が三つ採れた。祖父と二人暮らしでは、一日にたったこれだけの収穫でも充分だ。鉢植えも馬鹿にできんなと思いつつ、友一郎は立ち上がった。と、そのとき、敷地外から人の話し声が聞こえてきた。 「すっげ、こいつオスじゃん」 「マジかー! 三毛猫のオスって何十万とかで取引されるっていうよな」 「(さら)っちゃう?」  タマじろう!! 友一郎は茄子を放り出し、あわてて庭から家の前の小路に飛び出した。ビクッと三人の男たちがふりかえる。三人ともまだ若く、華奢で小柄だ。午前中に港で見かけた動画配信者たち。立っている二人のうち一人はハンディカメラを持っていた。しゃがんでタマじろうをかまっていた男は、タマじろうの脇の下に差し込んでいた手をササッと抜き、降参の姿勢をとった。 「すいません、冗談でした……」  友一郎はうなずいた。  それにしても、ここは住宅地とはいえ、空き家だらけで民宿や商店ばかりか自動販売機すらない、辺鄙な場所だ。こんな所に観光客が入り込んで何が楽しいんだと友一郎が(いぶか)しんでいると、ハンディカメラを持った男が釈明した。 「自分ら人魚の方たちの動画を撮りにこの島に来させていただいたんですけど、ついでに島の猫も撮らせていただこうかと思い……みんな可愛いんで……。あっ、すいません、もしかしてここ、私道だったりします?」 「ええ、私道ですね」 「重ね重ねすいません!!」  動画配信者たちは脱兎のごとくに逃げていった。タマじろうは何ごともなかったかのように、友一郎の脛に耳のうしろをこすりつけた。友一郎はタマじろうを抱き上げた。タマじろうはまるで体が液体でできているかのようにてれんとして、されるがままになっている。友一郎はタマじろうの顔が自分の目の高さになるよう持ち上げて、言い聞かせた。 「誰彼かまわず愛想を売るなよ。危ないんだから」  すると、タマじろうは「いやだ」と言わんばかりにじたばたと身動ぎをして、友一郎の手をのがれ、アスファルトに着地した。そして軽い足取りで助走をつけ、庭木の幹をつたって塀の上にあがると、尻尾を垂直に立ててトコトコと歩き去った。タマじろうは自由だ。  自由すぎて行動の読めない奴が、もう一人。友一郎は廃漁港にカヤックを持っていき、潜を待ったが、三十分ほど経っても潜は姿を現さなかった。そのかわり、今にも涙を溢れさせそうな双眸が、友一郎をじっと見上げている。幼い人魚の男の子だ。先ほどから、波打ち際でもじもじしていた男の子人魚は、とうとう意を決した様子で、友一郎のもとに歩いてきたのだ。 『潜、早く来てくれ』  友一郎は念じた。子供……ましてや人魚の子供の相手など、友一郎はしたことがないので、どうしたらいいのか分からない。とりあえず無視を決め込んでいたが、こうも間近に来られると、相手をしない訳にはいかなかった。 「……どうした?」  友一郎は思いきって男の子人魚に声をかけた。 「お母さんが、二度と帰って来るなって」  男の子人魚はさめざめと泣き出した。どういう言葉をかけてやればいいのか、友一郎には分からない。 「帰ってきたらサメのエサにしてやるって言われた」  すすり泣きは間もなく号泣に変わった。この男の子は、群れ(ポッド)が島に初めて上陸した日から母親に邪険にされていて、毎朝の健康観察のときも突き飛ばされたり無視されたりしている。だからといって伊達(だて)はこの子を保護するでもなく、母親を諌めるでもなく放っておいている。 『伊達さんには助けを求められないな』  つい先日、友一郎は同じ場所で負傷したオス人魚を発見した。だが、その人魚を救助するために伊達を呼んだせいで、彼に迷惑をかけてしまったのだ。  友一郎はカヤックを漕ぎだした。人魚の男の子はデッキにまたがり、友一郎の背中にしっかりしがみついている。カヤックが物珍しいらしく、男の子はすっかり機嫌をなおして、かかとで船体をとんとこ叩いた。  男の子は名を「(ねい)」といった。濘は「泥濘(でいねい)の濘と書いてネイと読む」と自分で説明した。  (どろ)だなんて。この子の母親は、何を考えて我が子にそんな名前をつけたのだろうか。そんなに我が子が憎いのか。濘が生みの母親にいじめられている現場を見てもなお、友一郎は濘の母親が本気で息子を群れ(ポッド)から追い出そうとしているだなんて、信じられなかった。 『俺の母親だってろくでなしだったけど、ここまで酷くはなかったな……』  友一郎、という父だか祖父母だかにつけられた名を、母が皮肉る声が、不意に耳の奥に響く。 『友達が一番の男だなんて。自分を一番大切に思わなかったら、他人を愛することなんかできないのにね!』  そんなふうに母から鼻で笑われたから、友一郎は自分の名前があまり好きではなかった。それを大翔(ひろと)に話したところ、大翔も「俺も自分の名前が嫌い」と言った。 『大翔って、かっこいい名前じゃないか』 『俺だって、友一郎って名前、カッコいいと思うけど?』  なんだ、同じだな。と、顔を見合わせて笑いあった。 「見て見て!」  追憶の世界になかば浸りそうになっていた意識が、濘のかん高い声で(うつつ)に引きもどされた。濘はショックコードに掴まって、顔を水中につっこんだ。そして間もなく「ぷはっ」と息を吐いて、顔を水の上にだした。 「サメがいるよ、二匹」  そう言われても、海面が日光をぎらぎらと反射しており、友一郎にはサメの姿はちっとも見えなかった。 「どんな種類のサメだ」 「シュモクザメだよ」 「目が横にでっぱってるやつか」 「そう」  テレビで観たことがあるのか、現実に水族館で見たのか、定かではないが、頭の形が金槌(かなづち)のようで、体も口もあまり大きくないサメだという記憶がある。 「危ないやつか?」  濘は答えない。ただ友一郎の背に貼りつくようにしがみついている。

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