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転調 *
一瞬だけ唇に感じた熱は、すぐに離れていく。中学生のとき、結斗を泣き止ませるためといって、同じことをされた。
びっくりしたら泣き止むから。
実際その通りだった。驚いた結斗の涙は、あの時はぴたりと止まった。
昔されたキスは、頬だった。
今度は唇。純が言った通り、もう残っていなかった。これ以上もっと近くにいる方法が。
「どう、これで寂しくなくなった?」
唇へのキスなんて、なんでもないことのように、純は結斗の猫っ毛をくしゃりとかき混ぜた。結斗を安心させるように。
「心配しなくても、俺は遠くに行ったりしないよ」
「……純」
「まぁ、結斗は、まだ俺とこのままがいいらしいし。だから、この話はこれでおしまい」
「ッ」
息が詰まる。安心なんて出来なかった。キスだけじゃ、まだ不安だった。
「水持ってくるよ」
純はそういってソファーを立ち上がった。
このままだと、また遠くなると思った。結斗は純の手を握って引き止めていた。
「結斗?」
「俺……あのな」
「うん」
不安になったり寂しくなったり、年を経るごとに近くなる距離。離れそうになると、近づいて、純は結斗に安心をくれた。
今回も昔と同じように結斗のよく分からない不安を和らげようとしてくれた。
けれど、行き着くところまで、行き着いた先には、もう安心なんてなかった。
近くなれば近くなるほど、今度はその先を考えて不安になる。
抱きしめて、手を握って、額に、頬に口付けて。最後に唇を重ねたとき、結斗のなかの何かが壊れてしまった。
「……行かないで」
純の目をまっすぐに見て、今度は結斗が純をその場に引き止めていた。
目が潤む。涙がじわりと浮かんだ。
「結斗、何、吐きそう? ごめん。酔ってたのに変な話して」
「嫌だ……嫌だよ」
「ゆい……」
また子供の時と同じことを言っていた。
「どう、したら、このまま、一緒に純といられる、の」
このままだと嫌だった。昔、純が悲しいままだと嫌だった。同じように自分も悲しくなるから。いまの言葉が正しいと思えない。分かっているのに、また駄目になる。
全部、元の音に戻したかった。元通りの大好きな音。不快な音がずっと頭の中で鳴っていた。純がそばにいるのに、少しも心地いい音にならない。
もっと近くにいて欲しい。
「……足りない? まだ、寂しいの」
純がソファーに片膝を乗せたことで、ぎしりと軋む音がした。
視線をあわせたまま、もう一度、確かめるように唇が重なった。
今度は角度を変えて深くなった。息が出来ない。どんどん心臓の音が速くなっていく。
「ッ……ふ」
「結斗、もう少しだけしようか」
純の甘く蕩けた瞳の色を陶然とした気持ちで見つめていた。細く触り心地のいい純の黒髪に触れたいのに、右手は純の右手を掴んだままだった。左手は純の服の胸元をぎゅっとにぎっていて動かせない。
もっと触りたい。純の全部。
なんで幼馴染でこんなこと、してるんだろうって頭の片隅では警報音が鳴っている。
けれど止められなかった。
純のキスは治療だ。
けれど治療のはずなのに、結斗は昔と同じように純の口付けを治療のまま終わりに出来ない。
――自分は、変だから。
あの日、大学で純のピアノを聴いてから、最後。
多分、全部が駄目になった。
華やかで勇ましい曲だった。それなのに、聴いてる間は、ずっと孤独を感じていた。
胸が苦しくなった。このままじゃ駄目だとピアノの音に急き立てられる。
純の身体が結斗にのしかかって、ソファーの上でぴったりとくっつく。
その重さが気持ちよかった。次第に純との隙間がなくなっていく。真摯に見つめてくる純の整った顔。酒に関係なく頭がぼんやりしていた。
キスの先に安心なんてなかった。
いつの間にか歪な警報音は消えていた。代わりに、ずっと心臓はドクドクと波打っていて、頭の中では大学で聴いた純のピアノの音がした。
鐘の音のように煩く響く。唇が離れると自分だけ息が上がっていた。
「音、がした」
「なんの?」
純のキスで粟だった首筋を撫でられる。温かい室内なのに、ぞくぞくした。
「純の、ピアノの音、大学で弾いてたやつ。胸が痛くなった、苦しい」
「あれ、結斗のために弾いたんだけど」
嘘だと思った。
もう、あの音はネットの海でたくさんの人が聴いている。幸せな音を。心を揺らす音を。
聴いてくれるなら、誰だっていいくせにって思った。
ちゅっ、と今度は音を立てて唇にキスされた。
「……純は、嘘つき……だ」
口付けの合間に恨み言をこぼす。
この貪り合うような口付けの時間が一体なんなのか、もう分からない。
頭の中が音の洪水でぐちゃぐちゃになった。
世界中に結斗が独り占めしていた音を聴かせた。
自分だけのものだった音を。
「やっぱり伝わってない。あの日、最後まで聴かないで帰るし。ちゃんと俺の音ずっと聴くって言ったのに、ひどいね。結斗の方が嘘つきだよ?」
純はそう言って叱るように甘いキスをくれる。
結斗の肩に手を掛け押し倒し、身体をソファーの上に縫い止められた。
天井と、純の艶っぽい表情。
純の少し赤らんだ目元、長いまつ毛。閉じられためがゆっくりと開けられる。
さっきまでキスしていて唾液で濡れた唇が近づいてくる。頭が、体が、変になる。
「何考えてるの?」
純のこと、ばっかり考えている。
純の顔をみて惚けていると、純は突然、結斗の下半身に手を乗せて撫でてきた。
一瞬で現実に引き戻された。
これ以上は、本当にダメだと思った。間違いで終われなくなる。
「な! なにも考えてない! つか、なに触ってんの人のチンコ」
「だって、勃ってたから」
「っ、だって、って純、酔ってるだろ!」
「だから、それでいいよ。結斗寂しいんだろ。いいよ、結斗が満足するまでするから、俺もお前も酔ってるんだよ」
そのまま再び重なった唇が純の舌で割られ、口の中に純の舌が入ってくる。さっきまでのキスとは違う。本気のキスだった。頬を撫でた純の吐息から興奮が伝わってくる。同じくらい自分も興奮していた。こんな純は知らない。
「っ、ぅ、んっ」
「まだ、寂しい? こんなに一緒にいるのに」
「ぁ……んん、ふぁ」
「かわいいね。ゆいは」
純が絶対に知るはずのない、やらしいキスだった。純のキスで誤作動したままの勃起を服の上から優しく撫でられて嫌でも意識させられた。普通じゃない自分を。
純に触れられると気持ちよくなる身体。
深い口付けで頭の中を犯されている気分だった。口の内側で交換される唾液は蜜のように甘くお酒みたい。酩酊していた。ずっと満たされなかった心と身体が純で満ちていく。
どこまでなら許されるのだろうか。親友のキスで興奮するおかしな身体を。
――これ以上、許されるはずがなかった。
「ッ、も、いい! だ、大丈夫だから、ちょっと、俺、酒飲んで変になってて」
「もういいの? せっかくノってきたのに」
くすくすと、純は冗談のように笑って結斗を見下ろしてくる。
「の、のらなくていい!」
「じゃあ、コレ、どうする?」
にっ、と純は意地悪く笑って、結斗の抵抗する手を払った。純は結斗の下のファスナーを下げ結斗の熱の中心を下着から出した。
隠すことの出来ない興奮を互いの眼前に晒されて泣きたくなった。実際泣いていた。
「おー、勃ったら、結構でかいね結斗、俺抜こうか」
純に指で弾かれた。死にたい。
「もう、やめ……自分でトイレで抜くから」
「遠慮しなくていいよ?」
距離が近い親友だとしても超えたらいけない一線はある。
自分のおかしさは分かっていても、純まで自分の変に付き合わせたくなかった。抵抗した結斗の手の上から純の手が重なって上下に動かされた。次第にその速度は上がっていく。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音に犯されている気分だった。
「ッ、だめ、だめだって、純! っ、あ!」
「別に、今更だし。お前の下半身くらい子供の時から見慣れてるよ」
「忘れろよ!」
「忘れないよ。ゆいのことは、全部、ね」
そんなの変だと思った。
「この前さ、朝勃ちしてたのも見た。だから、大丈夫大丈夫」
「だ、大丈夫じゃね、み、見るなよ、だからって、ッ、あ……」
純の指の間から先走りが溢れて、部屋に水音と自分の喘ぎが響く。
「ッ、あ、だめ、純、ぁ……んんっんんっ」
「ほーら、手、どけて」
最後まで拒んでいた結斗の手は下肢から退かされて、純の手が好き勝手に結斗の熱を育て始める。
親友の手で施されることの羞恥でむずかっていると「仕方ないな」とソファーから抱き起こされ背中を優しく叩かれる。向い会う形で耳朶を食まれた。腰の力が抜け全身がふにゃふにゃになった。
「ぁ……ああっ」
「なに、結斗、耳が性感帯なの? お前のことなんでも知ってるって思ったけど、まだまだ、知らないことあるね」
「っ、ぁ、やぁ、あ……あ、やだ」
「結斗」
名前を呼ばれて耳に舌を入れぐちゃぐちゃにされて、抵抗することも忘れて純にしがみ付いていた。
「み、み、ぁ……あ、や、やだっ」
「はいはい、大丈夫大丈夫、気持ちいいねー。ほらほら、さっさと出して寝な」
肩をとんとん叩かれる。
「っ、ば、バカにするな、ぁ……」
「してないしてない、馬鹿だなぁって思うこともあるけど」
ふるふると横に振っていたら、強く扱かれながらキスされた。純が、これ以上おかしくなったらと思うと怖くて、涙が溢れてきた。
「やっ、やだ、あっ……お前が、変、なの」
「ん? 俺」
「あ、ん、んんんっ、ぁ、やっ、おま、えまで、頭おかしくなったら、俺、やだよ」
「心配しなくても元々だよ? でも結斗は、一緒におかしくなってくれないんだな」
「んんんっ、や、でる」
「――ま、いいけど」
ふ、と笑った吐息が耳に触れる。もう、気持ちいいのが止まらない。
「ッ、ぁ、ああ……なん、で、あ……やぁ」
ぐちゃぐちゃとあふれてくる先走りは止まることなくて、頭が馬鹿になった。
「あ、やだ、やだぁあ……あっ」
「ゆーい。良い声で鳴いてよ、いつも歌うみたいに。お前の声って、甘くて……ずっと聴いてたいよ」
まるで音楽を楽しむように人の喘ぎを評される。そのまま追い詰めるように亀頭を撫でられて堪らなくなり、とうとう我慢できずに純の手を汚した。
「あっあっあああっ!」
目を開けて、ぼたぼたと純の手から落ちる自分の精液を見て呆然となった。
「お粗末様でした。気持ちよかった? にしても出し過ぎだし。ちゃんと適度に抜きなよ男の子なんだから」
純は冷静な口調でソファーから立ち上がりティッシュボックスを取ってきて、それを結斗に差し出す。真っ赤な顔で、それを受け取って下半身を拭い服の中にしまった。
「ッ、バカ純!」
床に落ちていたクッションを拾って純に目掛けて投げた。避けられたけど。
「危ないなぁ」
「ッ……風呂! 借りるから!」
射精したからって冷静にはなれないし、とにかくすぐに頭を冷やそうと思った。
どうにかなりそうだった。
「どうぞ、俺先に寝てるから。酒飲んでるんだし風呂で倒れないでね。今日はシャワーにしなよ」
「お前は俺の母親か!」
「……なって欲しいならなってもいいけど」
「知るか! このばか酔っ払い!」
バタバタと足音を立てて純の部屋を出た。「また逃げるし」部屋を出ていくときに純がそう言ったのが聞こえた気がした。
逃げないと、純がおかしくなるんだから仕方ないだろうと思った。
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