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 今が楽しいから。幸せだから。飢えとか渇きみたいなものがない。だから、その先なんて考えられない。  けれど純は結斗が知らない間に、あっさりと外の世界へ目を向けていた。  純は、あの満たされた部屋の外で何が欲しかったんだろう。何が足りなかったんだろう。  それを知るのが怖い。  ――じゃあ、俺は? この先、どうしたいの?  それを考え始めると満たされていたはずの自分の音楽に飢えと渇きを思い出す。  これじゃ足りない。  ずっと蓋をしていた感情を思い出して、心がざわざわする。 「桃谷は、どうしたいとかないのか? 歌あれだけ歌えるんだし」  夢ってなんだろう。ふと思った。自分のやりたいこと。自分だけの夢。 「歌手とか」 「いや、歌手とかないって。どうなりたいとか、全然」  冗談のように笑って流したけれど、頭の中では必死に答えを探していた。  酔っていたけど覚えている。昨日、同じことを純にも言われた。  どうしたいの? って。 「確かに『純』のピアノはスゴいし、俺もファンだけど。お前だって、いい声もってるし比較するもんでもないだろ?」 「まぁ、そう、だけど」 「ピアノと歌は違うし、まぁ音楽は音楽だけど」  瀬川の言葉は正論だ。  自分が、どうしたいか、この先、どうなりたいか。答えは出ない。 「あとさ、今回の動画のこと」 「うん」 「俺自身悪いと思ってるけど、ごめん本当は、すごい嬉しかったんだ」 「え、嬉しい? なんで」  突然告げられた謝罪とは対極にある感情に結斗は驚く。 「俺は、お前の歌が好きで、絶対スゴいって思ってる。だから、それをずっと証明したかった、みたいな?」 「なんだよそれ、峰くんと言ってること一緒じゃん」  結斗はからかうように笑った。 「あーだよな……ごめん。本当。覚えてないけど、きっと酔ってて俺、峰にそんな話したんだろうな」 「……そっか」 「いつも、誰かに聴かせたいって思ってたし、だから、やっぱ俺が悪いのかも。マジで俺、酒やめよう」 「それ二十歳のセリフかよ? 飲み始めたばっかりじゃん」 「だよな」  しきりに反省する瀬川を見て冗談を言う。  酔ってたら色々ある。同じく、やらかした昨日の自分を思い出して小さく息を吐いた。 「俺は気にしてないし、瀬川も気にするなって、別に、大したことじゃないし」 「そう言ってくれると、ありがたいけど」  結斗は、改めて自分のスマホの動画を見た。  【歌ってみた】XXX アレンジMOMO  結斗の歌った動画の近くに純の動画があった。最近、どこかの商業施設で弾いたらしい純のピアノ動画。  純は、いつ演奏に行ってるんだろう? 何も知らない。純の動画を見て変な焦燥感に駆られる。 「なぁ、俺は絶対お前歌で食ってけると思うよ」 「なわけないだろ」 「もし、もしもだよ、桃谷も『純』みたいに、動画で活動したいとか思ってるなら言ってくれよな! 俺、協力する!」  瀬川は、真面目な顔で結斗を見た。 「そんなの……俺は、全然」  リアルタイムで更新されていく再生数、チャンネル登録者数。  コメント欄をスクロールすれば、この前見た純の動画と同じような言葉が流れていた。  かっこいい、すごい、好き! 神なんてコメントもあった。  けれど、やっぱり周りがどんなに熱狂していても、自分は、ただ歌っていたいだけ。昔と同じで、どういうふうになりたいとか、音楽に対して目標みたいなものが見つからなかった。それでも、誰かに届いたら嬉しいって思う。  純がピアノの動画をあげようと思ったきっかけを、まだ聞いていない。  けれど、もしかしたら純もこんなふうに誰かに自分の音楽が届くのが楽しいと思っているのかもしれない。  そうだったらいいなと思う。  結斗のワガママのせいでピアノを辞めて。この先もずっと家の中だけでピアノを弾いているなんて、やっぱり良くない。

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