34 / 50

 純に呼び出されて待ち合わせの『桜花殿』に着くと、純はピアノの前にいた。  以前のような人集りはなく、純はピアノの蓋を開けて年上の髭面の男性と楽しそうに話をしていた。 (誰だろ?)  邪魔になりそうなので後にしようと思ったが、入り口近くの席に座る前に純に気づかれた。仕方なくピアノのところまで歩いていく。 「ゆい、もうお昼食べた?」  笑っている純を見て胸がチクリと痛んだ。 「うん……今さっき、瀬川と」  急に純の前で普段自分がどんなふうに声を出していたか思い出せなくなる。  今は、どこまで近くにいてもいい? 仲のいい幼馴染が許される距離が分からない。  知らない純を見て、また動揺していた。  いつまでも子供のままが良かった。そうすれば、今だって無邪気に走って行って背に抱きつくことが出来た。  こんな感情は、おもちゃを取られた子供と変わらない。全部自分のものだと言いたくなる。そんな醜い自分を遠くから俯瞰して見ていた。 「そっか残念。バイト終わったら一緒に食べようと思ったんだけどな」 「バイトって? お前バイトしてたの」  また知らない純を知った。 「うん。ピアノの調律の手伝い、今日は確認と微調整が残ってて」  結斗は、このときまで純がバイトをしているのを知らなかった。 「ちょう、りつ、純が? 出来るの?」 「うん、まだ勉強中だけど。高校の時に、三森さんに弟子入りしたんだ」  ――そんなの、聞いてない。  純に紹介された三十後半くらいに見える年上の男性。三森は結斗に向けて人当たりの良さそうな柔和な笑顔で「こんにちは」と挨拶する。それにぺこりと会釈を返した。 「俺さ、やっと一人でも調律の仕事できるようになったんだよ」 「へー、お前、すごいじゃん」  純の笑顔が、まぶしくて苦しくなる。  ピアノが弾けて、調律も出来る。  ――俺、お前がすごいなんて、ずっと昔から知ってるよ。  純は、いつだって、綺麗で、かっこいい。なんだってできる。  庶民で平凡な自分とは違う。すごい才能のある人間。純のことなんて全部知ってると思っていた。ただの思い上がりだったけど。  知らない純を知るたびに、苦しくて、寂しくなる。 (だから、そんな純は嫌い)  嫌いって思った瞬間に自己嫌悪している。  純は少しも悪くない。悪いのは、普通じゃないのは、ずっと自分だけだ。 「私から見れば、篠山くんは、まだまだだけどね。ま、友達の前だからアゲとこうか?」  三森はニヤリと口角を上げて笑った。 「俺の幼馴染なんです。桃谷結斗」 「へぇ、この子が。噂はかねがね篠山くんから聞いてるよ」 「純、俺のことなんて言ったんだよ」  いま普通に笑えている? 笑顔引きつってないだろうか。ただの幼馴染に見えてるか不安だった。 「うーん。いつも一緒にいるよって」 「なんだよそれ」 「だって、事実だしね。いつも一緒なのは」  三森は「結斗の前にいる純」を見て声を上げて笑った。 「君ら、ホント仲良いんだねぇ」 「はい、とても」  純は迷うことなく仲がいいことを肯定した。そんな自分にとってあたり前の純を見て結斗は、訳もなく衝動的に詰め寄りたくなった。 (全然一緒にいないじゃん! バカ。嘘つき!)

ともだちにシェアしよう!