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「三森……さん」
「あぁ、やっぱりそうだった。もしかして、今日、篠山くんと一緒に来てた? いつも一緒にいるって言ってたし、今日はクリスマスイブだもんねぇ」
「いえ、俺は……」
純が三森に結斗のことを何と伝えているか分からない。瀬川に話したように相方とでも言っているのだろうか。
「そうそう、あのピアノね。今日、篠山くんが一人で、最後まで調律したんだよ。スタインウェイ」
「え?」
「本当はバイトくんに一人で最後までやらせることは無いんだけど。あのピアノは元々、篠山くんの家にあったものだし、特別にね。ま、時間はかかったけど及第点かな。綺麗な音だよねぇ」
子供の頃、純の家の地下にあったピアノ。結斗がおもちゃのように遊んで鳴らしていた宝石くらいの値段がするやつ。今でも覚えている色鮮やかな思い出の音だ。懐かしい音を思い出し純に会いたい気持ちが急いた。とにかく早く純を探しに行こうと思った。
「あの! 三森さん、いま純は」
「多分、次に弾くと思うよ」
曲が終わり拍手のあと。人混みの中から純が出てくる。
あ、と口から声が漏れる。見つけた。
いつもと同じ、ピアノの前に座ると燕尾にみえる黒のチェスターコートを着た純。一体どこにいたのか分からないが、幽霊のようにふらりと現れた。
派手なパフォーマンスをする訳でもなく、その曲は唐突に始まった。
「しっかし、今日はクリスマスイブなのに寂しいきらきら星だねぇ。朝は楽しそうにしてたのに。上手だけど、せっかくの綺麗な音が台無し」
結斗は輪の中心に走って行って、その背中に今すぐ抱きつきたくなった。
けれど、今の自分には、まだ出来ないことも分かっていた。きっと純は喜ぶし別に少しも困らないかもしれないけど。
仕方ないなぁと思った。
「三森さん。ここのストリートピアノ、禁止されてることってありますか?」
「え?」
「連弾とか合奏とか禁止なところあるって、友達に聞いて」
「あぁ。駅構内じゃないし、時間制限だけ。あとは喧嘩せずにみんなで仲良く楽しんでもらえれば……って、桃谷くん?」
「ありがとうございます。じゃ、ちょっと、殴り込んできます。ピアノはもっと楽しそうに弾けって」
背中から「喧嘩はダメだよ」と声が聞こえた。自分がそばにいるのに、そんな寂しい音楽なんか許さないと思った。
いつもの純の演奏を知っている人からすれば、本番前の準備運動みたいな軽い演奏。結斗からすればお通夜だ。
終わったタイミングで、結斗はピアノに向かってスタスタと歩いて行って、背後から鍵盤に手を伸ばした。
ラの音。442Hz。
ちゃんと正しく調律が出来ていた。綺麗な音だった。突然後ろから伸びてきた結斗の手に、純はスタンプの黒猫と同じ目をしていた。まん丸の目。
――驚いてる。
やっと、言いたいことが言えると思った。
「驚いた? ざまぁみろ」
「ちゃんと来ると思ってたけど、思ったより早かったね」
「寂しかったんだろ」
「――全然」
にこりと優しい笑顔で微笑み返される。
「嘘つけ。寂しかったくせに」
結斗も寂しかったから、そうやって純も同じだろと決めつけた。
「うん、嘘。寂しかったし、ちょっとびっくりした」
「純が言ったんだろ『隣で歌ってくれたら、もっと楽しい』って。だから来た。ほら、お望み通り隣で歌ってやるから、なんか、弾けよ」
「やっぱり、王様だし。いいけど。じゃあ歌ってよ」
文句を言いながらも、結斗がちゃんとたどり着けたことに満足している。
そんな純の顔。純の方が王様だと思った。
さっきまでつまらない演奏をしていたくせに、たかだか結斗が一人やってきただけで、と思う。純はピアノで返事をくれた。
『My Favorite Things』
お互いさまだけど、あ、こいつ馬鹿かなと思う。あぁ、そうだよって、心の中で返事した。
笑いながら隣の男を小突いて狭い椅子の隣に無理やりに座った。寂しい時に好きなものを思い浮かべる。そうすれば、寂しくなくなるから。本当にその通りだなと思う。
ただ、その「お気に入り」の全部が、今も昔も純だったっていう話。
人前でやっているのに、お互いに隣の人間にだけ演奏を聴かせている。
この先のことを考えたら、自分の半分を可哀想だと思うし、怖いって思うこともあるけれど一緒なんだから仕方ないって諦める。
諦めたら、それも、そんなに悪くないって感じた。
いつの間にか人だかりが出来ていて、演奏が終わると大きな拍手が送られた。
人の心を動かす音楽は、いつだって音に感情が乗っているんだと思う。
結斗が純へ対して感じた寂しさを歌った最低で恥ずかしい歌が評価されたのも同じ理由だ。
その評価を申し訳なく思うのは傲慢かもしれない。
けれど、やっぱりごめんなさいって思った。
――だって、隣の男の音楽は全部、自分のものだって思いながら歌ったから。
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