7 / 15

VII

「何やってんだ……?」  アルベルトが紺の布に鼻先を埋めていた。見間違いでなければ、あれはヨハンの上着と同じものだ。彼が使用人から上着を預かったのは知っているが、彼は一体何をしているのだろうか。  不可解な行動に興味が湧き、ヨハンは暫くの間、主人の行動を観察してみることにした。扉に体を張りつけたまま、そっと部屋の中を覗き込む。  上着を見つめるアルベルトの表情がいつになく熱っぽいように感じ、妙な悪寒がした。 「――ん……ヨハン……」  くぐもった声が自分を呼ぶ。アルベルトは鼻を上着に埋めたまま、何度か深呼吸をする。くずおれるように寝台に上がると、下肢の衣服を緩め、内側に手を伸ばした。 「はぁ……は、んう……っ」  彼が取り出したのは、陰茎とよく似た形状の張形。ただヨハンのそれよりは一回りほど小さい。それを口に含み唾液で濡らすと、普段はヨハンを招き入れている後孔を拡げ躊躇いなく押し込んでいった。 「あぁ、あー……ッ♡」  びくびくと内腿が震える。鼻にかかった甘い声からも、とても悦んでいる様子が窺える。アルベルトは張形を掴んだ手首を前後に動かしながら、紺色を掻き抱き、ヨハンの存在に気がつかぬまま没頭し始めた。  ……状況がいまいち掴めない。アルベルトが自慰をしていることは確かだ。毎晩あれだけしておきながらも欲求不満だったということだろうか。  それに単なる性欲処理が目的なら、何故いつものようにヨハンを呼ばず、一人で耽っているのか。  あれほど夢中で快楽を貪る彼を、見たことがない。 「……オレと寝るのでは、満足できないってことか?」  いくら奴隷扱いだろうと、単純に男として、寝た相手に満足出来ないと言われれば自尊心に傷がつくのも当然だった。  アルベルトはヨハンの容姿を特に気に入っていたが、「処理」を済ませた後はいつも淡白な態度を取っていた。それはヨハンを奴隷として見ているだけでなく、性処理役としても内心力不足だと感じているからだったのだ。  ならば早々に首にすればいいものを、どこまでも傲慢な男だと心の中で悪態づく。いざ首にされると食い扶持には困るが、彼のほうから突き放してくれたほうがずっといい。  いっそ今、堂々と彼の目の前に現れてしまおうか。覗いていたことを暴露してしまえば、彼は怒りに任せ、ヨハンを屋敷から追い出すかもしれない。  アルベルトはまだ夢中になっている。出ていくなら今だ。出来るだけ静かに扉を開き、足を踏み出す。 「はあっぁっい、いいっ……ヨハンっ、ヨハンン♡」  ……いや、違う。  ならば何故、アルベルトはあの上着を愛おしげに抱き、自分の名前を繰り返し呼んでいるのか?  あの光景は、まるで―― 「んう……!」  切羽詰まった声が聞こえたと思うと、四つん這いの体がずるずると脱力していく。暫くして起き上がり、衣服を整えると、まるで何事もなかったかのように寝台に腰掛け、ヨハンの上着を脇に放る。  だが、何事もなかったように振る舞える筈がないのだ。あんなものを見てしまった今。  物憂げに溜息を吐く横顔を見つめ、ヨハンは心を決めた。 「……アルベルト様。宜しいですか?」 「!?」  突然の来訪者にアルベルトは勢いよく顔を上げる。ヨハンは大きく扉を開き部屋に立ち入ると、会釈をして苦笑いを浮かべて見せた。 「遅れて申し訳ございません。軽食をお持ちしました」  ヨハンが扉を閉め、部屋を進み皿を置く動作をアルベルトはじっと観察しているようだった。何かに警戒し身構える様子で、声を強張らせる。 「お前、いつから……まさか今までの……」 「今まで? 私はたった今来たばかりですが……実は、先程アルベルト様と手合わせした際脱いだ上着が見当たらず、探し回っておりました。……ん?」  ヨハンの視線を追ったアルベルトは、はっとして上着を掴みヨハンに差し出す。 「ああ、これか。訓練場で拾われたのを預かった。これからは忘れぬよう気をつけろ、仮にも客人にだらしのない恰好など見せるなよ」 「申し訳ございません。以後気をつけます」  素直にヨハンが頭を下げると、アルベルトは鼻を鳴らした。普段するように脚を組み、ティーカップに口をつけ始める。  ヨハンはそんな彼の姿を横目に眺め、小さく肩を揺らすと、受け取った上着をアルベルトの横に放り投げた。  上着の落ちる音にアルベルトが動きを止めた。 「けど、誰かがオカズにした服なんかもう着られねえよなあ」  アルベルトの隣を過ぎ、枕の下に手を差し込む。しっとりと濡れた張形を手に取ったヨハンは、それをアルベルトの前で手のひらに遊ばせた。 「いつもはあんな声出さない癖に、こういうのはこっそりやらなきゃダメだろ。そんなにコレで尻の穴ほじるのが楽しかったのか?」  アルベルトは視線だけをヨハンに移し彼を睨みつける。だが以前感じた畏怖の念を抱くことはなく、寧ろ侮蔑、そして愉悦が胸の中に渦巻いていた。  主人の顔に、ヨハンに勝ったときのような高慢な笑みはない。それだけで気分が良い。 「……見ていたのなら、最初からそう言えばよいものを。お前も大概意地が悪い」  あんな姿を見られたと知れば取り乱すかと思ったが、アルベルトは狼狽えたりせず、案外冷静だった。流石にこの程度では大した傷にはならないらしい。どこまでも神経の図太い男である。  張形を上に放り投げつつ、ヨハンは笑みを漏らした。 「まあちょっと寂しかったんでね。少しの意趣返しくらい許してください」 「……何?」 「アルベルト様はオレよりこんな玩具のほうがよっぽどイイんでしょう?」 「ッ……!」  ヨハンはアルベルトの髪を鷲掴みにすると、無理やり上向かせその頬を張形で軽く叩いた。  翡翠色の瞳が驚愕に染まった。彼の耳元が微かに赤みを帯びているのを見て、鼓動が速くなる。 「ヨハン……貴様……」 「オレにハメられるより玩具で一人でしてるのが気持ちいいってことですよね? ……あれ、それともまさか『大好きな男の匂い』に我慢出来なくて慰めてたとか? 流石にそんな訳はないよな。オレはただの奴隷なんだし……」  強気にヨハンを睨めつけていた視線が逸らされる。一瞬のことだが見逃さなかった。  もっと早く気付くべきだったのだ。まさか、こんなに簡単な事だったとは。 「……服は新しく用意する。お前が見たものはお前には関係ないことだから忘れろ。この話はもう終わりだ」  アルベルトはヨハンの手首を掴み、外そうともがく。だがそう言われて易々と引き下がる気も、忘れる気も起こる筈がない。後ろめたいことがあるからこそ、人は逃げる。どうやら完璧なアルベルトでもそれは同じらしい。  ならば、逃げられないよう突きつけてしまえばいい。  戒めを解き、下着の中から自らの陰茎を掴み出す。まだ血液も充分に巡っていない状態だったが、アルベルトの視線がゆるりと向いたのを感じた。 「そりゃああんたにとっちゃ玩具もオレも同じ程度なんだろうよ。だったら、玩具に出来てオレに出来ねえこともないだろ?」 「何だと?」 「あれ、挿れる前に舐めてたよな。してくださいよ同じように」  上向かせた鼻の先に、肉棒の先端を触れさせる。目に見えて強張るアルベルトの表情に、頭を掴む力を思わず強めた。こんなことを要求されるとは予想していなかっただろう。ヨハン自身もたった今まで、言うつもりのなかった言葉だ。半ば勝手に滑り出たともいえる。  賭けでもあった。ヨハンが反抗的な態度を取って怒りを買い、屋敷から追い出され代わりの「奴隷」を雇うことがあれば、アルベルトにとって自分が代替の利く人間だと知ることが出来る。  気紛れで雇い入れた下民に性奴隷以上の価値など無いのだと。 「俺を誰だと思っている。こんなことが許されるとでも思っているのか」  ともすれば視線だけで人を殺められる程の、恨みの籠もった鋭い目を向けられる。気高い彼にとって、自由を奪われ顔先に性器をあてがわれるなど屈辱以外の何物でもない。ヨハンとてこの行為に、侮辱の意味が微塵も含まれないとは考えていない。以前なら主人に対し、こんな真似をしようとは思わなかっただろう。  今はアルベルトの反応すべてがただの虚勢に見えて仕方がない。今度の「賭け」には 勝機がある。 「あんたさえ黙っていれば咎められることもないさ。……『オレに』ハメてほしけりゃ、しゃぶれよ」  ヨハンは声を落とし、威圧的にアルベルトを見下ろした。  互いに押し黙ったまま、長くも短くも感じる時間が過ぎた。やがて手首を掴む力が弱まる。彼は片手をヨハンの腿につき、もう片方を柔らかい肉棒に添え、いっぱいに口を開きながら顔を寄せた。  冷たい空気に晒されすっかり縮こまっていた自身が、急に温かく包まれ背筋に衝撃が走った。 「……ンぅ……ふ」  苦しげな鼻息が金色の毛を擽る。形容し難い感情が内心渦巻いている中、ヨハンの目は一点に囚われた。  ――口に入れた。本当に。これは現実か。生々しい感触は疑いようもない。首の裏は熱く、鼓動は力強く駆けていく。 「……! ぐっげほ、けふ、っ」  半分ほど咥えたところで、咳き込みながら口を離す。苦しげに涙を浮かべ、袖で口元を拭う。口淫の経験はまるで無いらしく、抵抗が拭えないのだろう。だが息を整え、再び口を開き、おずおずと舌を絡ませる。  唇で挟み、しばらく先端だけを吸うのを繰り返す、拙くも懸命な口淫。必死に吸いつく顔は真っ赤に染まり、痛ましく歪む。そんな様子を見ているだけで、胸が空いていく。  刺激を受け徐々に膨らむそれを咥え続け、疲れれば休み、また咥える。繰り返していくごとに深く呑み込み、ようやくすべてが咥内に収まった。潰れたような声を喉から漏らしながら、鼻で必死に息を継ぐ。  彼のこんな顔を見たことがあるのはきっと自分だけ。そう思うと不思議と、涙と涎にまみれ歪んだ憎らしい男の顔でも愛らしく見えてしまうものだ。 「慣れないのに歯も当てずに咥えられて、偉いな?」  よしよし、と優しく頭を撫でる。面白半分でやったことだったが、頑なに閉じていた瞼が上がりヨハンに向けられる。赤く潤んだ瞳と視線がぶつかり、何とも言えない恍惚が脳天を突き抜けた。  頭に乗せた手のひらを後頭部に滑らせ、力を込める。苦しげな呻き声が聞こえたが無視をして。 「力抜いてな。あんまり力むと辛いからよ」 「ふぐうぅッ……!」  口の中は充分な唾液の量があり、多少無茶をしても問題ないと判断したヨハンはアルベルトの頭を挟み、小刻みに前後に揺さぶった。喉奥には当たらぬよう、深く差し込み過ぎず、ゆっくりと。それでもやはり苦しいのか時折えづきもしていたが、少しすると口を窄め、動きに合わせて舌を添わせるようになる。  溢れた涙がヨハンの手を伝い落ちていく。縋るように裾を掴む手が、先程まで剣を握っていたそれと同じものだと誰が信じるだろう。 「ぉっ、おご、お゛っ」 「さすが優秀なアルベルト様は覚えが早えなぁ」  体積を増し、芯を持った怒張を容赦なく頬肉で扱く。慣れ始めた頃に速度を上げ、最初より深めに頭を押し込んでいく。あらゆる体液が混じり隙間から溢れ滑りを良くしながら、激しい水音を立てる。  不意に喉奥が狭まり、亀頭を締めつけた。そろそろ限界が近いことを察し、僅かに腰を引きかけたヨハンだったが、ふと思い直しそのままアルベルトの頭を固定した。  むず痒い衝動が奥からせり上がる。舌の上で位置を調整し、咥内に射精した瞬間、びくっとアルベルトの体がしなった。 「ん……!? ゔぅ……!」  予告なしに放った所為か、目を見開き殊更苦しげな呻きを漏らしながら射精を受け止める。だがヨハンは手を離さず、最後の一滴まで残らず出してからようやく彼の口から自身を抜き去った。 「ぶあ……え゛ッ、ごほっ、ぉ゛っ……」 「あーあー吐くなよ……飲ませようと思ったのに。しょうがねえ、初めてだしな」  解放されたアルベルトは白濁を口から滴らせ、呼吸を乱している。ヨハンは彼の顎を掬い上げると、濡れた唇を咥え込み隙間から舌を差し込んだ。 「んむっ……っふぅ、ふ、あむ、ンはっ……ぁ」  舌を絡めると咥内に残った精液がまとわりついてきた。滑りが程よく、不快な風味さえ興奮材料になる。未だ呼吸が整わない中荒い息を吐きながら、舌だけはヨハンを追いかける。口を離すと、涎を垂らしながら息を弾ませる様子がまるで子供のようだと思った。  手首を掴み、もう片方でアルベルトの腰を抱く。ふと目についた赤い痣に唇を寄せ、そっと舌を這わせてみた。虚ろな目がその部分に向く。 「オレが蹴ったところ、赤くなっちまってる。痛いか?」  本気で蹴ったとはいえ、騎士なら怪我には慣れている筈だ。だが敢えてそんな質問をしながら、打撲痕の上に歯を立て、そのまま軽く食いしばる。 「いっ……や、めろ……痛い……」  抵抗を示しているつもりか、胸を押し返すアルベルトの手は普段の力より段違いに弱い。ほとんど無抵抗の体を寝台に倒し、脚から衣類を引き摺り剥がすと、割り開いた膝の間に手を滑り込ませた。  伝い落ちる液体を指で掬い取り、それをアルベルトの前で擦り合わせる。 「……ッハ、隠すのが上手だな。口淫が善かったのか被虐趣味があるのかどっちだか」 「違う……これ、は」  ここまで来て、まだ強がるつもりなのだ。  顔を隠そうとする腕を捕まえ、顔の横に縫い止める。顔を近づけ、ヨハンは感情のまま笑みを浮かべた。 「違わないだろ。舐めただけでイッておいて。本当はオレに滅茶苦茶にされたいんだよなぁ。なぁアルベルト様」 「ちが……う、もういいだろう、やめて……くれ」  かぶりを振りながらヨハンの下から逃れようとするアルベルトの下肢を固定し、後孔に親指を捩じ込む。張形で解され、十分に緩んだそこは入った途端から指に絡んでくる。  ヨハンは指の代わりに自身をあてがったものの、すぐには挿入しようとせず、狭間で何度か往復させる。するとアルベルトの腰がそろそろと浮いた。  だが、身体だけが正直ではつまらない。アルベルトの顔を無理やり自分のほうへ向かせる。 「頑張ったもんな。挿れられたいか?」

ともだちにシェアしよう!