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XIII

・・・  胎内に異物を嵌め込んだまま、アルベルトは伯爵らと対面することになった。あくまで選択権は託した上で、彼自身が選んだのである。  いくら褒美が欲しいからとはいえ、馬鹿馬鹿しいにも程がある。しかし折角ならと、この状況も楽しませてもらうことにした。秘密が露呈したところで恥をかくのはアルベルトだけだ。 「ほお、珍しい色をしている。これは?」  ヨハンが運んできた御茶に興味を示したマルクラム伯爵が、器を手にする。リーゼロッテ共々鼻を鳴らし、口を近づける間にアルベルトが淡々と説明していく。 「南東から運ばれた香草茶です。少し酸味が強く癖がありますが、癒しの効能があり、よく眠れますよ」 「中々悪くない。南東といえば確か、辺境伯が直々に交易を行っているのでしたかな」 「ええ、まだ日は浅いですが。向こうの土地は水源が豊富ですから、作物の実りも良くて助かります。こちらでは栽培が難しいこういった香草も、比較的容易な加工で運び入れることができますし」 「成程……しかしきっと此度も貴方の口添えがあってこそなのでしょう、アルベルト卿」 「と言うと?」 「僭越ながら申し上げると、辺境伯閣下……貴方の兄上は、そういった商談の場にあまり立たれませんからな。気難しい南東の土地の民を言いくるめられるのは、弟のアルベルト卿の他におられないでしょう」 「はは、兄上はあまり口が巧くないのです。外交の場で決定権を持つのはあくまで当主、私はただその考えに従い思索するまで。口には出さずとも、辺境伯は誰よりも領民のことを慮っておられますよ」  ヨハンはいつもどおり控えながら、アルベルトと伯爵の会話へ密かに聞き耳を立てた。上面では爽やかな笑顔で受け答えをしている。伯爵の含みのある言い方に内心どう思ったかはわからないが、アルベルトの返事に嘘偽りはない気がした。  グンターは常に厳しい顔つきを崩さず、態度や口調にも生来の神経質さがよく表れている。アルベルトの従者を務めているヨハンが、単身お目にかかる機会はそう多くない。しかし初対面の場でのこともあり、彼に対し苦手意識を持っている部分は否めない。彼の世話をしているイルゼの忍耐力は称賛に値する。  アルベルトがグンターに皮肉めいた口をきいているのを耳にしたこともあるが、それはただアルベルトが己に絶対的な自信を持っているからであり、決してグンターを貶めるつもりはない。寧ろ部下として、弟として、責務を負うグンターを心から尊敬しているのだ。端から見ているだけのヨハンであっても、ヘルムリッヒ家で暮らすうち、次第にそれがわかってきた。 「まあ勿論、そういった面もあるでしょう。……しかしやはり、本当に当主に即くべきは、アルベルト卿……貴方だと考えているのですよ、私は」  茶器を机に置き、マルクラム伯爵はやや前のめりにそんな言葉を投げかけた。隣のリーゼロッテが、ばつが悪そうに身を竦める。比較的穏やかだった場の空気が重くなる気配を感じて、ヨハンはわけもなくアルベルトの顔を凝視した。  彼は顔色を変えず、膝の上で手を組む。沈黙を許さないと言わんばかりに、伯爵が両手を広げまくし立て始めた。 「聞きましたぞ、領民の中に反乱を企てる者どもがいるとか。これこそ民が現当主へ不満を抱いている証明でしょう。私とて、辺境伯閣下が力不足だと申し上げている訳はありません。交易、勲章、民からの支持……様々な観点で鑑みた結果、兄君よりもアルベルト卿のほうが優秀であると……貴方こそ国を守る要所である、この地を治めるに相応しいと! 国の未来を憂慮しているからこそ申し上げているのです」 「それで私が辺境伯の位に即いた暁には、リーゼロッテ嬢との婚姻を改めて結び、比例して伯爵ご自身も恩恵を受けることが出来ると?」  ぴたりと動きを止め、目を丸くする伯爵を真っ直ぐ見据え、アルベルトは小さく溜息を吐き半身を傾ける。 「……マルクラム伯爵、私は当主の座に興味はありません。これは謙遜でも何でもなく、心の底から兄……グンターが辺境伯位に相応しいと知っているからです。彼に足りないところがあるならば、そのときは陰ながら支援します。ですが表に立つことは今後も決してありません」 「し、しかし……」 「それと、不用意に流言を口にするのはやめていただきたい。領民が反乱を画策しているというのは、まだ不確かな噂でしかありません。現在、総力を挙げて状況を探っている段階です。勿論私だけでなく辺境伯も、必要以上に事を荒立てないため慎重に事態に当たっています。すべては領民の為、国の為に」  静かな口調の中に、アルベルトの確固たる意志があった。言外の圧力を感じ取ったのか、たじろぎながらも伯爵は尚も食い下がった。 「故に我が娘との婚約を破棄されたのですか?」 「! 父上……そのお話は今はされない約束では」  リーゼロッテが伯爵の袖口に触れると、彼は無闇にそれを振り払う。 「うるさい、お前は黙っていなさい!」 「っ……」 「ご自身が当主の座に即くおつもりがないからと、娘との縁まで切ることは何もないでしょう。リーゼロッテには幼い頃から、私の補佐を学ばせております、気も回るしっかりとした賢い娘です。公私共にアルベルト卿を支える、良き妻となるでしょう。ああ、無礼があったなら何でも言いつけください。……ああ、そうだ。妹のツェツィーリアは如何ですかな。まだ未熟ですが、あと数年もすれば美しく育つに違いませんぞ」 「妹君は昨年お産まれになったばかりではありませんか。少し落ち着かれてください、伯爵」  我に返った伯爵は気まずそうに咳払いをし、香草茶を喉に流し込んだ。そして席に座り直し、姿勢を正し僅かに頭を下げる。 「いや失敬……私としたことが見苦しいところをお見せしました」  どうやら、婚約破棄は一方的に言い渡されたものであるようだった。伯爵の様子を見るに、未だ両者の間で折り合いがついていないのだろうか。だとしたら理由は?  気になるが、従者の自分がこの場に水を差すわけにもいかない。ヨハンは逸る気持ちを抑え、アルベルトへ視線を注ぐ。 「納得がゆかれないことは重々承知しています。マルクラム家とは父の代からの親交ですから、末永く友好関係を築いていきたいと私も願っています。しかし……先程も申し上げたとおり、私は未熟な身。兄の手助けをしていく中で未だ学ぶことも多く、兄より先に妻帯することは考えていません。リーゼロッテ嬢には、私の身勝手によって不自由な思いをさせたくないのです。……どうか、ご理解のほどを」 「そう……ですか。やはりお考えは変わりないのですな」 「リーゼロッテ嬢には私などより相応しい御方がきっとおられます。それに、婚約を破棄したからといって、家の繋がりまで絶たれることはありません。マルクラム伯爵、どうか今後もヘルムリッヒ家を宜しくお願い致します」 「ええ、こちらこそ願ってもいない……宜しく頼みますぞ、アルベルト卿……」  アルベルトと伯爵が固く手を握り合う。一見、和解したかにも見えた。見た目には平静を装っていたとしても、彼らの間にはどこかよそよそしい空気が残っているようにヨハンの目には映った。隣で口をつぐむリーゼロッテの顔も、先程と比べより一層暗い。  アルベルトの言葉を信じることができない。上面だけの嘘を並べ立てているようにしか聞こえないのだ。 「じきに日も暮れます、今夜は我が屋敷でどうぞお寛ぎください。ヨハン、案内を頼む」 「え、ああ……はい。畏まりました」  主人の声にはっと気づく。動揺を押し隠し、伯爵とリーゼロッテへ近づき腰を折る。 「ああ、いや、お気持ちは有り難いですが……」 「父上……今日のところはご厚意に甘えましょう。夜道は獣や賊が出て危険ですわ」 「む、お前がそう言うのなら……ではアルベルト卿、申し出有り難く受けさせていただきますぞ。実のところ遠乗りは久しく、疲労が溜まっておったのですよ」 「折角いらっしゃったのですから、今宵限りは日頃の疲れを癒やしていかれますよう」 「どうぞ、こちらです」  応接間の扉を開き、伯爵とリーゼロッテを連れて廊下を歩く。その道中、ヨハンの背中を追う二人の会話が耳に入ってきた。 「――お前が不甲斐ないばかりに、私にこんな手間をかけさせているのだ」 「……申し訳ありません」 「大家に取り入り子を産むことしか出来ぬのだから、しっかりと役目を果たしてもらわなければ困る……お前は賢いから何を為すべきかわかるだろう? 父を落胆させてくれるな」 「……はい、父上」  靴音と、密談。他の音が何もない静かな空間では、わざわざ耳を澄ます必要もなく声が届いてしまう。ヨハンは顔を顰めたくなるのを堪えながら歩を進めた。  野心を抱えた貴族諸侯、権力と欲望にまみれた人の醜さ。何処であろうと、たとえ見たくないと目を背けても結局は思い知らされる。彼らからしてみれば、ヨハンのような者の存在はあってないようなものと同じなのだ。隠すつもりがない分、マルクラム伯爵は貴族の中では善良といって差し支えないかもしれない。  ヨハンの中に彼らへの憎しみは最早ない。在るのは「誰もが同じだ」という達観と嘲りだけだ。しかし「彼」もその渦中にいるのだと感じさせられたことのほうが、今のヨハンにとっては幾らか重きを置くべき事柄だった。  その後、客の応対をしているアルベルトとは顔を合わせる暇がないまま、ヨハンは台所へ赴き夕食の準備に取り掛かっていた。  酒蔵から数本の瓶を抱えて戻ってくると、台所に続く入口で見慣れない青年がうろうろと歩き回る姿を目にした。立ち止まりしばらく観察してみると、青年は中の様子を窺っては物陰に身を縮める動作を繰り返す。  屋敷の人間でないことは確かだが、その姿は見覚えがあった。マルクラム伯爵に付き従っていた従者の一人だ。こんな場所に一体何の用だろうか。  不審に思い、声をかけてみる。

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