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ふゆきのけつい(1)

「14時45分到着の◯◯便の出迎えです」 「そうですか、それではトランクを開けてください」 結城は足元の、トランクを開けるスイッチを押した。 係員が中を点検する。 「はい、結構です」 「どうも」 そして再び彼は車を走らせた。 検問を抜ければ、もう空港までさほどの距離ではなかった。 大きな駐車場の一角に車を停め、結城は歩いて空港のロビーに向かい… 到着口の見渡せる場所へ着くと、その辺のベンチに腰掛けて、煙草を1本吸った。 やがて館内放送が目的の便の到着を告げると、彼は立ち上がって到着口の近くに移動した。 到着の手続きを終え、流れ出てくる人波の中に、結城は待ち人を見つけた。 1人の女性だった。 もう40は超えているだろうが、若々しく見える細身の美人だった。 結城は、その女性に向かって小さく手を振った。 「結城さん…」 その女性も彼に気付いた。小走りに彼の方に向かってきた。 「ご無沙汰してます、真紀さん…いや、ミセスグレイと呼ぶべきですかね」 「ふふっ…真紀で大丈夫です。わざわざこんな所まで来て頂かなくてもよかったのに…」 「いえ、こちらの方がお呼びたてしたのですから」 そして結城とその女性は、空港を出て車に乗り込んだ。 「結城さんにはお世話になりっぱなしだわ。自分もだし、主人も仕事でお世話になってるし…その上まさか息子までお世話になるとはね…」 「たまたまですよ。ご主人の方は元々お付き合い頂いてましたし…」 車を発車させながら、結城は続けた。 「息子さん…冬樹くんの方は…まあ私の趣味っていうか、道楽みたいなものなんです。どうぞお気になさらないでください」 そう。真紀さん…こと、ミセスグレイと呼ばれたこの女性は…再婚してアメリカに住んでいる、冬樹の母親だった。 「それで、冬樹は…今度は何をして、そうなったんですか?」 彼女はまだ、冬樹が少年院に入った理由を知らされていなかった。 「…冬樹くんに付き合っている子がいることはご存知でしたか?」 「ええ、アメリカに行く前にそんなこと言ってました。あのとき…」 彼女は窓の外の景色を、懐かしそうに見ながら続けた。 「いえ、その前に横浜にいた頃は相当荒れてたんですけどね…あのときの冬樹はとても落ち着いていて、これなら、残して行っても大丈夫かと、思ったんですけど…」 「その…相手が男の子だってことはご存知ですか?」 「ええっ?本当?…それは知りませんでした…」 結城は知ってる限りの事情を説明した。 「冬樹くんとその彼…滝崎郁かおるっていうんですけど…2人は仲良くやってたらしいんです」 「でもその郁ってのが割と可愛いくて、要はそういう種類の男たちにとってかなり魅力的な子なんです。で、まあその子を好きで、無理やり力強くで暴行したやつがいて…」 「おそらくは、そいつの方から冬樹くんに絡んできたんだと思います」 「船の上で争っているうちに、相手の方が…海に転落して、亡くなった…といっても、まだ上がってはいないんですけどね」 「…」 彼女は黙って聞いていた。 「それから2人は、その郁の強い希望で、逃げて横浜に2人で生活を始めました。私が郁と知り合ったのは、その頃です」 「…それじゃあ…もしかして結城さんも?」 「ははっ…お恥ずかしながら、ハッキリ言って私も、郁を魅力的だと思うひとりなんですけどね…でも…」 結城は頷きながら、笑って話を続けた。 「…でも残念ながら、郁は冬樹くんの事しか見えてないんですよ。どんなに私や、他の男性が言い寄っても…それなりに身体は許してくれるんですけどね」 「…」 「彼は冬樹くんから、決して心変わりをしてくれないんです」 「そう…なんですか…」 彼女は少し安心したような表情を見せた。 「冬樹くんが捕まったのは…」 …と、車は高速道路の料金所に差しかかった。 車を停め、結城は彼女にカードを渡し助手席の窓を開けた。 「お願いしていいですか?」 彼女は係員にカードを渡した。 結城の車は左ハンドルなのだ。 再びカードを受け取り、窓を閉めながら車は走り出した。そしてまた彼は話を続けた。 「実は、冬樹くんが、私に接触してきたんです。折り入って相談したい事があると…」 「…」 「要は、自分は出頭したいから、郁を私に託したいっていう話でした。元々私も、彼らのこの先の事に、首を突っ込みたい気持ちがありましたので…喜んで承諾しました」 「それから、警察の知り合いに連絡を取って…出頭要請が決まりました」 「…その、郁くんは、今どうしているんですか?」 彼女は質問した。 「郁は、全寮制の高校に入れてます。やはり私が保護者代理をしています」 「親御さんは?」 「彼の両親は、早くに亡くなっていて居ません。お兄さんが1人いますが…彼はもう私に正式に委任してくれています」 「…そう…なんですか」 それから2人はしばらく黙っていた。 やがて車は首都高速に入り… まもなく、とある出口か、一般道へ出た。 「もうすぐです」 それから5分も走らないうちに、車は高い壁に囲まれた施設にたどり着いた。 2人は車を降り、その灰色の… 窓に鉄格子のついた建物の中に入っていった。 受付で手続きを済ませ… 2人はしばらく待たされたが 「倉田くんの面会の方、どうぞ」 やがて係員に呼ばれて、彼女だけが、面会室に入っていった。 彼女がくぐった反対側のドアから、看守に連れられて冬樹が入ってきた。 「…冬樹っ」 「…あーおふくろ…悪かったな。わざわざ来てくれたんだ…ごめん、また迷惑かけた」 「何言ってんの、ちょうどこっちに来たかったから口実が出来てよかったわよー」 「ふふ…相変わらずだな、ありがとう」 それから2人は他愛のない話をいくつかした。 しばらくして彼女は、やつれて覇気のない息子の目を見ながら、心配そうに言った。 「アメリカに行く前のあんたは、もっと強い目をしてた。だから安心して置いて行けたんだけどね…」 「…」 「今のあんたの目は…なんだか生きてんだか死んでんだか分かんない感じね…」 「…」 確かに、彼女の言う通り…その目つきは、郁と一緒にいた頃とは比べ物にならない絶望感が見て捉えた。 「彼のことなら心配ないから」 「…えっ」 「結城さんに聞いた。彼は絶対にあんたのこと待ってる筈よ」 彼女は冬樹を元気付けるように言ったが…冬樹は逆に、一層項垂れた。 「…うん、待ってるんだろうね…」 「だから、頑張って早く出なきゃ」 「…出たって…」 冬樹は小さい声で言った。 「出たって…待ってたって…俺、どうすればいいのか、分かんなくなった」 彼女は、そんな彼の様子に驚いた。 それを見て冬樹は慌てて、取り繕った。 「…ごめん、何か俺…ははっ…やっぱこんなとこ入るもんじゃないね…」 「そろそろ時間です」 看守の事務的な声が響いた。 「すぐ帰るんでしょ?」 冬樹は落ち着いた口調で言った。 「ええ…もう明日の夕方の便で」 「わざわざありがとね…旦那によろしく」 「何生意気なこと言ってんの。あんたこそ、郁くんによろしく言っといてよ」 「…!そこまで知ってんの?」 冬樹はビックリして、少し頬を赤らめた。 「ふふっ…早くこんな所出て、郁くんと2人で遊びに来なさいね」 「…うん…ありがと…」 そして冬樹は席を立ち、看守に連れられて部屋を出て行った。

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