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歌舞伎町の夜(1)
僕を乗せたタクシーは、
甲州街道を、ひたすらまっすぐ、まっすぐに…
都心に向かって走って行った。
夜中だったこともあり、特に渋滞もなく、
2時間も走らないうちに、
やがて高層ビルの脇を抜けて…新宿の繁華街に出た。
夜中とは思えない
明るさと賑やかさに、なんとなく惹かれて…
僕はそこで、運転手に言った。
「あの…ここで、いいです」
「そうですか、まだ走れますよ?」
「…でも、いいです。ここで降ろしてください」
そしてタクシーは止められ…
僕はゆっくり、降り立った。
辺りを見回し、とりあえず…
賑やかな人波の中に、紛れ込んでいった。
もちろん、行く宛なんて無かった。
でも、もう…
なんだかあそこには居られないような気がした。
これ以上迷惑はかけたくない…
雅巳にも、律也にも…結城さんにも…
どこからか、ギターの音と歌声が聞こえてきた。
僕は、その、声のする方へ、
人混みをかき分けて行った。
すると…道路の真ん中の、少し広くなっている所に、
地べたに座り込んで弾き語りをしている青年がいた。
誰も足を止めることは無かったが…
彼は、それでも構わず歌っていた。
僕は、その青年から2メートルくらい離れた街路樹の下にしゃがみ込んだ。
そして彼の歌を、しばらく黙って聴いていた。
ふと、僕は思い出して…
シャツのポケットから、
持ってきた、例の煙草を取り出した。
あ、ライターがないな…
弾き語りをしていた青年が、
困っているのに気付いたのか…
ギターを弾く手を休めて、
ポケットからライターを取り出した。
それに火をつけ、
彼は手を伸ばして、僕に差し出した。
「…ありがとうございます…」
僕は、それを煙草の先につけた。
「ふぅーー」
彼はまた、
何事も無かったかのようにギターを弾き始めた。
これからどうしよう…なんて、
全然考えられなかった。
でも、この煙草のおかげもあって…
そんなのどうでもいいやと、思えた。
ここで、この人の歌を聴いていよう…
僕は、煙草の火を、揉み消した…
そのとき…
「ちょっとあんた、こんなとこで何してんの?」
急に僕は…知らない男に声をかけられた。
その男は、僕の手から煙草を取り上げた。
「やだ、これマリファナじゃない。こんな堂々と吸ってたら、警察に連れてかれちゃうわよ」
茶色い巻毛の美青年だったが…
なぜか女言葉を喋っていた。
呆然としている僕に向かって、彼は訊いてきた。
「どうしたの?家出?」
「うーん…厳密に言うとちょっと違うけど…まあ似たようなもんかなー」
僕は何も考えず…ボーッと答えた。
「やっぱりね、そんな感じするわよ。行くとこ無いの?もしよかったら、うちの店に寄ってかない?」
「えっ…でも…」
「大丈夫よ、あたしが奢るから、心配しないで」
そう言って彼女…いや彼は、僕に手を差し伸べた。
僕は黙って、彼の手を取った。
「じゃ、行きましょ」
僕は立ち上がった。
そして、そのまま、
彼の後ろについて、歩いていった。
振り向くと、歌っている青年が、僕の方を見ていた。
僕は、彼に向かって軽く会釈をしてから…
また振り向いて、歩いて行った。
「私もね、家出して彷徨ってる所を今の店のマスターに拾われたの」
歩きながら、彼は僕に言った。
「だから、あんたのこと他人だと思えないのよ。お互い様だから気にしないでね」
「…」
「この裏の地下なのよー」
いかがわしい店ばかりが並んでいる通りだった。
どこからどこまでが、同じビルなのか…
その境目が分からないほど、ネオン看板が立ち並んでいる、そのすぐ裏に…
暗い、電気もついていない、
何の店なのか分からない看板の横に…
地下へ続く階段があった。
彼は、その階段を降りていった。
僕も後を続いた。
ギィィー。
アンティーク調の、重い木製の扉を開け、
彼は店の中へ、僕を招き入れた。
「どうぞ…」
「…」
「おかえりー。あれ、どうしたの?その子…」
店の中に何人かいる店員の1人が、彼に声をかけた。
「うん、ちょっとねー。さ、どうぞ、座って」
彼は構わず、僕をカウンターの席に座らせた。
そんなに大きくない店だった。
テーブルも5〜6席。
客は2人に、店員は…この彼を入れて3人…
そしてカウンターの中に、マスターらしき人がいた。
そのマスターが、声をかけてきた。
「どうしたの?」
「家出少年みたいよ。でね、道のど真ん中でマリファナ吸ってたのよー。もう危なっかしいから連れて来ちゃった」
「そう…君、いくつ?」
「…15…です」
僕はちょっと言いづらそうに答えた。
女言葉の彼はビックリした。
「えええー本当?…じゃ、今高校生?」
「…あ、はい」
「どっから来たの?」
「…あの…その山奥の学生寮から…」
「そうなんだ…。で、何飲む?」
「適当にカクテルでも作ってあげてよ、強いやつ」
そして僕は…
マスターが作ってくれたカクテルを飲んだ。
「あたし、可淡(かたん)っていうのよ、あんたは?」
「僕は…郁(かおる)…」
「へえー郁ちゃんって、いうの」
可淡は、自分も水割りを飲みながら、訊いてきた。
「で、あんたどうして、寮出てきちゃったの?」
「うん…僕、みんなに迷惑かけちゃってるから…なんだか申し訳なくなっちゃって…」
「出てきちゃった方が、よっぽど心配じゃないの?」
「そんなことない…僕なんか…」
僕は下を向いた…
「僕なんか…いない方がいいんだ…」
そして、くちびるを噛みしめた。
取り繕うように、マスターが言った。
「まあまあ、いーじゃん、昔のことは。元気出して…もう1杯どうぞ」
そして新しいカクテルを差し出した。
「ありがとう…マスターの作るカクテル美味しいね」
「たくさん飲んで、今日はゆっくりしていきな」
「ありがとうございます…」
僕は小さく頭を下げた。
可淡はお喋りがとても上手だった。
僕はしばらく、カクテルを飲みながら、
彼の面白い話をずっと聞いていた。
店の奥に、ドアがあった。
話を聞きながら…ふと気付くと、
客の1人が、店員の1人と連れ立って、
そのドアに入っていった。
そしてまたしばらくすると…
違う客と店員が、そのドアから出てきた。
その出てきた客は、そのまま会計を済ませて
店員と共に外へ出て行った。
店員は、見送りしてきたらしく…
2〜3分でまた戻ってきた。
…ああ、そういうことか…
僕は、ここがどういう店なのか、
やっと分かったような気がした。
どのくらい時間が経っただろうか…
「疲れた?」
「うん…少し眠くなってきた…」
可淡とマスターが、チラッと目配せをした。
「じゃ、奥で休むといいわ。連れてったげる」
可淡は、僕の手を取って立ち上がった。
「ん、マスターありがとう。ごちそうさまでした」
そして彼は…
僕を、そのドアの方へ連れて行った。
マスターが、ニヤッと笑って見送った。
「…おやすみ…」
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