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もうひとつのはじまり(3)
気が付くと…
そこは病院の一室だった。
僕を見下ろすように、
ベッドの傍に可淡が座っていた。
「…気が付いた?」
「…」
僕は、ハッと思い出して、上半身をおこした。
頭がクラクラして、視界がサーっとなった…
「もう少し休んでなきゃダメよ」
可淡は僕の身体を押さえて、ゆっくり寝かせた。
そして、キッパリと言った。
「大丈夫。律也くん、命に別状はないそうよ」
「…!…そう……よかった…」
それを聞いて僕は、安堵の溜息をついた。
そして可淡に言った。
「…すいません、お店に迷惑かけちゃいましたね」
「いいのよ、どうせそんなことだろうって、皆で話してたところだったのよー」
「…」
「それに、葉多さんが連絡もくれたし…」
「…」
「じゃあ、私はこれで帰るわね。あんたは明日退院していいそうだから、また明日迎えに来るわね」
「…ありがとうございます…」
可淡は、そう言って部屋を出た。
よかった…律也…
本当に、よかった…
僕はじっと…目を閉じた。
部屋を出た可淡の前に、1人の男が立っていた。
「色々、お世話をかけたみたいだね…」
「いいえ、とんでもない…むしろごめんなさいね、こんな事になるなら、もっと早くに貴方に報告するべきだったわ…」
「あいつの様子は?」
「落ち着いてるわよ。会っていかれたら?」
「いや…やめておこう…」
そして彼は、可淡の肩に手を置いて言った。
「店まで送る…」
「ありがとう。お願いするわ」
そして2人は、並んで病院を出ていった。
僕の所へ駆けつけてきたその男は…
結城だった…
彼もまた、可淡の常連だったことがあったのだ。
結城は、あらゆるネットワークを屈指して、僕を探した。
当然、可淡にもそれは伝わっていた。
境遇の似た少年を拾ったことを、彼は早々に結城に知らせていたが…
さしあたり…
要は、『泳がされていた』…ということなんだろうな。
もちろん、僕は、そんなことは知らなかった。
しかも結城はそれだけでなく、
違う方面にも手を回していたのだ。
「やあ結城くん…わざわざ来てくれて、申し訳ない」
「いえ、たまたま近くに用事があったものですから」
結城は、とある会社の最上階の一室で、
その会社の社長と思われる、50代くらいの男性と握手を交わした。
彼は結城をソファーへ誘った。
向かい合って座り、その社長は結城に頭を下げた。
「この度は、息子が色々とお世話になりました」
「とんでもない。こちらこそ、あんな怪我をさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、そんな事はどうでもいいんです。好きにやったらいいんです」
「…」
「どうせあいつは、大学を出たら、一生この会社に縛られる宿命を背負ってますからね。今のうちは、後悔のないように、好きなだけ自分のやりたい事を経験して欲しいんです」
「日野社長…あなたの教育方針は素晴らしいですね」
「いや…自分の親父が、私に同じようにしてくれていただけですよ」
穏やかな口調で語るその人は…
紛れもない、律也の父親だった。
「でも、あいつが休学したいと言い出したときは、流石に驚きました」
「…」
「しかも、その理由を…結城さんに聞いたときは…もっと驚きましたよ、あっはっはっ…」
「…それでも、許されるんですか?」
「若いうちに色々なことを経験するに越した事はないですからね。その経験が、その人間を造っていくのだから…」
結城はそうしてしばらく…律也の父親と語り合った。
「…郁…よかった…」
「…律也…」
僕は次の日、
退院する前に、律也の病室に立ち寄った。
「痩せたね、律也…」
「ワイルドになっただろ?ちょっとは見直した?」
ベッドに横たわる律也は、
学院にいたときとは別人のように見えたが、
顔色も良く、声も元気そうだった。
僕は彼の手を握りしめた。
「ごめん…律也、ホントにごめんなさい。僕のせいでこんな事になって…」
「いいんだよ…お前にこうして会えたんだから」
律也は優しく、僕の手を握り返した。
「お前が見つかって…お前に会えて…しかもお前が俺のこと心配してくれるなんて…ホントに俺にとっては夢みたいに嬉しいよ」
「律也…」
僕の目から、自然と涙が溢れてきた。
涙で霞んだ律也の目の輝きは、まるで…
僕が永遠に失ってしまった、あの人によく似ていた。
冬樹…
僕は心の中で、その名を呟き…
それから、目の前の律也に言った。
「よかった…生きててくれて…」
そして、そっと…
彼のくちびるに、自分のくちびるを押し付けた。
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