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奪還(2)

弘真は、静かに車を発進させた。 いったんは引き下がったものの… 彼は納得がいかなかった。 「そんな筈はない。郁は死ぬほどヤツを嫌ってた…」 車を走らせながら…弘真は呟いた。 「…でも、さっきの見ただろ…」 律也は言った。 「俺があのとき怒って追い出したから…恭吾に慰められてるうちに、気が変わったのかもしれない…」 弘真はそれを聞いて、強い口調で言った。 「お前はそうやって、あいつの心変わりを理由に、自分を正当化してんじゃないのか?」 「…そう…かな」 「そうだよ…お前には、あの女がいるからな…」 弘真は続けた。 「もし本当に郁が心変わりして、お前から離れるっていうなら、それはそれでいいやって、思ってるんじゃないのか?」 「…そう…なのかもしれない…」 律也は、窓の外を見ながら小さな声で言った。 「確かに…俺の、あいつに対する気持ちが…以前と違ってきたような、気がする…」 「そうさ…以前のお前だったら、恭吾をぶん殴ってでも郁を取り返してる筈だ…」 「…」 そして弘真は…静かに、キッパリと言った。 「1つだけ、ハッキリしておけよ。もし、これでお前たち2人が別れる事になったとしても…律也、それを郁のせいにはするなよ!」 「…」 「お前の気持ちが変わって、あの女を選ぶんだ…」 「…ああ…わかってるよ…」 そして2人はまた、黙った。 その日2人は、その近くのホテルに泊まった。 翌日…弘真は律也に言った。 「俺はもう一度、あいつを連れ戻しに行くけど…お前はどうする?」 律也は答えた。 「俺は東京に帰る。行きたい所があるんだ」 「あの女の所か…?」 「バカ!…違うよ」 一晩じっくり考えた末に、 律也はひとつの結論を出していた。 しかし、それをどう表明したらいいのか… そしてまた、僕の状況を伝えるためにも、 律也は、結城に会って、 話をしなければならないと、考えていたのだ。 「もし万一、郁の身に何かあったら…この人に連絡してやってくれないかな…」 律也は、 以前結城から聞いた、彼の自宅の電話番号のメモを 弘真に手渡した。 「…これって…例のあいつの保護者の人?」 「…うん」 「わかった…じゃ、送って行けなくて悪いけど、気をつけてな」 「ああ…弘真も…」 そして律也は、頭を下げた。 「あいつの事…よろしく頼む…」 弘真は…そんな律也の、肩に手を置いて言った。 「…頑張ってみるよ…」 そして律也はホテルを後にして、 電車で東京へ戻った。 彼は早速、結城に連絡を取ろうと試みたが… 生憎彼は仕事で海外へ出て行ってしまっていて、 ようやく約束を取りつけたのは、 それから2週間も後のことだった。 その間も弘真は、ホテルに泊まり込み… 毎日のように恭吾の別荘を訪ねた。 それでも僕は、 弘真の前に顔を見せようとは、絶対にしなかった。 ある晩…弘真を見送ってから、 恭吾が僕の部屋に入ってきた。 「あいつもしつこいなー」 「…恭吾…っ」 僕はすぐに、彼に縋り付いた。 「お願い…早く…僕を楽にして…」 「ふふっ…わかってるよ」 そう言いながら… 恭吾は持ってきた小さなケースから、 注射器を取り出した。 「…早くっ」 僕は震えながら… 自分から右腕を彼の前に差し出した。 既にいくつもの注射の跡で、 痣のように青くなっている、その真ん中辺りに… 恭吾はゆっくりと、針を刺した。 「…はぁ…あっ…」 僕は肩で息をしながら… だんだんと恍惚の表情になっていった。 「律也はどうしたのかな…1人で東京に帰ったらしいけどねー」 「…関係ないよ…」 僕は恭吾の顔に手を伸ばした… 彼はニヤっと笑いながら…僕の胸元に指を這わせた。 そしてそのまま、 僕はいつものように、恭吾に抱かれた。 「シャワー浴びてくる…」 コトが済んで… 恭吾はそう言って、僕の部屋を出ていった。 僕は起き上がるのも鬱陶しく… そのまま裸でベッドに横たわっていた。 そのとき… バタン…と、ドアが開き… 誰かが部屋に入ってきた。 「…恭吾…早かったね…?」 と、突然、僕は思い切り、右腕を掴み上げられた。 「…痛いっ…あっ!」 弘真だった。 彼はいったん帰ったフリをして…建物に侵入し… 恭吾の目が離れる隙を伺っていたのだった。 「…そういう事だったのか…」 僕の右腕の痣を見て…弘真は納得した。 「おかしいと思ったよ…くそっ、もっと早くに気付くべきだった…」 彼は強引に…僕の身体を抱き上げた。 「離してっ…」 「早くしないと、手遅れになる…」 「嫌だ、ここにいる!」 僕は激しく抵抗した。 ここにいなければ…恭吾の側にいなければ… 僕は、アレが無いと、生きていけない… 僕は思い切り、弘真の顔を殴りつけた。 「離せっ…!」 「うわっ…」 弘真は驚いて、僕の身体を床に落とした。 僕は急いで起き上がり…ドアに向かって走った。 「…恭吾っ」 しかし弘真は、すぐに僕の腕を捕まえた。 そして、僕の溝落ちに… 思い切り、握り拳を入れた。 ドスッ! 「うっ…」 嫌だ…ここにいたい 僕を、連れて行かないで… 薄れていく意識の中で、僕は本気でそう願った。 僕はそのまま気を失った。

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