100 / 206

第100話 薬湯の力

なぜ石鹸がそのような場所に落ちているのかは知らない。ちゃんと片付けとけよと思ってはみたけども、片付けなかったやつもそんなギャグ漫画見たくなるわけないかと思っていたに違いない。実際俺もこんなアホらしいこけ方したのは、これまでの人生で一度しかなかった。 「おい梓大丈夫か! 今時の売れない芸人でもそんな事しないぞ」 多分俺のことを全身全霊を傾けて心配してくれてるつもりだろう仁が、どうにもぼやけて見えた。やばいこれは脳震盪起こしたかもしれない。でもいいや、いっそのこと脳震盪と一緒に記憶喪失も患ってさっきの記憶消えねえかな。さっきの事実はそれぐらいの衝撃だ。でもなんか大事なことも忘れそうだからそれは嫌だな、なんか都合良くそれだけを忘れるような頭の打ち所だったらいいな…… 「うおおおおお! しっかりしろ!」 意味があるよかはわからない声と一緒にドボンと音がした。人が水やお湯に入る時の音だろう、ここの場合湯船だろうな。泳ぐどころか飛び込みまでする猛者いんのかよ、思ったより浅いから突き指すっぞ。満身創痍な自分を棚に上げている気もするが、その誰かの身を案じた。しかし俺の第三者に向けた心配は今はなかった。 お世辞にもちょうどいい温かさとは言えないが、男だけが入ることを考えたらまあいい感じの熱いお湯が全身を包み込む。さっきまでぼやけていただけだった視線がついにぐわんぐわんし始める。そして目に降りかかる……激痛。俺の意識は急に覚醒して、のたうち回った。 「いっっっった!!! てか熱いな湯船! 目が、目が死ぬ!」 「おお、正気に戻ったか! 流石瀬戸と二家本が薬湯だって言うだけのことはあるな。ところで……大丈夫か?」 「……大丈夫じゃない、目ん玉溶けるかと思った。これ本当に薬湯か?」 俺の悶絶を心配しながらも、薬湯の効果に感心しているようだった。でも俺は早くもこれがちゃんとモノホンの薬湯なのか疑い始めている。いやその薬湯なんて人生で入った経験はそうないし、ドラ○もんのしず○ちゃんぐらいお風呂に関心がないとそう入る事はないと思う。それでも目が溶けそうになる程痛くなるのは流石にないだろう。 ひょっとしたら本来薬湯は不用心に目を開けて潜ったり目に入ったりしたら激痛を伴うものなのだろうか……と思いつつも、仁に聞いてみた。この薬湯の原材料というか、何が入っているのか知ってるか? 「それは知らねえな。でも僧侶の瀬戸が薬湯だってんのなら心情性は高いだろ」 「信憑性」 「それに入ったら肩こりとか良くなるし、身体があったまって血行不全も改善されられるって……」 「血行不良」 聞けば聞くほど胡散臭いな。肩こり改善血行促進実に結構な事だ。2つとも薬湯の効果とかでよくあるやつだから。まあそれとこれとは別で、脳震盪を治す薬湯は聞いたことないし、世界中を本気で調べ回っても多分ないと思う。でも仁のいう通り、僧侶の未来の言葉を疑う理由がないのも一理ある。嘘を吐くとも思えないから、やっぱりこれが異世界流の薬湯なのかも。 「でもなんか全員で風呂入ってたら成り行きで出来たみたいで、瀬戸が自分で作ったわけじゃないんだけどってさ……」 「はいアウト!」 そんなもんよくそのままにしておいたな! 改めて原材料なんだよ。船の中にあるものだから人体に有害なものはないと信じたいが、昨日のアルコールの件といいこの異世界のものは信用できない。何処かしら俺たちのいる世界よりも一癖も二癖もあるものに進化してしまっている、一言で言うとめっちゃめんどくさい物に。 ……とにかく入ってていい事はなさそうだから、早めに出よう。異世界特典で胎の中は掃除しなくていいみたいだし、適当にシャワー浴びてさっさと出てしまう事にした。しかしこの薬湯もどきはさらに追撃を仕掛けてくる。 「……なんか寒くない?」 「そうか? 梓は湯船入った後だろ? そんな事ねぇと思うけど」 急に寒気が襲ってきた。さっきまであんなに激熱の浴場にいたのに。後で何が入っているのかを聞くとして、とりあえずシャワーで暖まろう。隣に多分自称薬湯に侵されていないちゃんとした湯船がもう一つあるけど、長湯の予定もない。仁と初めてちゃんと風呂入ったのにこんな事になるなんて……と心の中でぽつぽつと浮かんだのは内緒だ。 「ほら寒いだろ? あっためてやるよ」 大きな筋肉で、お互い一糸纏わぬ身体で抱きしめられてドキッとした。もっとやばいことしてるはずなのに……まだ精神が処女なんだな俺って…… 「抱きつくな、……まああったかいからいいけどさ」 「ツンデレって言葉知ってるか?」 「知ってるけど……なんでそんな今と関係ない事聞くんだよ」 「なんも知らねえな」 「喧嘩売ってんのか?」 言葉を何回も間違えるやつにそんな事言われたくない。だいたい今とツンデレなんの関係があるんだよ、おら嬉しそうな顔してないで教えろや。不服なまま話を進めていると、突然入り口付近からガラガラと音がした、脱衣所と湯船を繋ぐ引き戸の音だ。 「せっかくの休憩なんだから、めい一杯楽しめよ!」 「だが、元々俺が悪いんだし……」 ああと声が出た。ふじやんだ、ふじやんと暁彦が来てしまった。思わず抱きしめてくれていた仁の腕を払って、ふじやん達に目を奪われた。絶対仁は不服そうな顔をしているけど、それでも空気を読んで何も言ってこないのをありがたく思った。 俺たちと目が合うと、2人とも豆鉄砲食らった鳩のような顔になるのが、なんとも滑稽で。俺たち4人の今後を決める、そんな気さえするほどの緊張感。それに耐えることができたふじやんが、最初に声を出した。 「……梓、悪い事をした、すまん。こんなこと言えた義理じゃないが、俺たち4人でゆっくり話す時間が欲しい」

ともだちにシェアしよう!