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第143話 背中を押す力
水を打ったように、いや違うな隣の部屋から楽しそうな仁と店主の声が聞こえてくるから全然静かじゃない。だけど少なくとも俺たち2人が居る部屋は音の発生源がひとつもなく、静かな事は間違いない。
「こんな状態の梓に幸せにするとかそんな責任を押し付けたいわけじゃないけど、それでもこう見えて自称真田の《《兄貴分》》なんでな。幸せになるための手助けの一つはするつもりだ」
兄貴分。知らなかった、確かに不良時代色々よくない話を仁に吹き込んだり、族との繋がりを勧めたり良からぬ面で世話をしているのは聞いたことがある。それに対して仁がどう返答したのかは知る由もないが、譲治にとっては色々面倒見てやった弟みたいな奴が急に男に惚れて結婚するとか言い出して、終いには警察官になるとか言い出してるんだ。そりゃ焦るだろうし、俺の事を信じられなくなっても仕方がないだろう。
「あいつ根が真面目なんだよ。喧嘩する理由も義賊みたいで、族との繋がりも徹底的に作らなかった、金をダシにしても食いつくどころかなびきもしない。ここまで不良に向いてないのも珍しい」
「……不良の時も、いい奴だった?」
「散々悪いことしてきた俺たちの中じゃ天使というか……仏だった。絶対弱者に手を出さない、サボりはするけど言い訳はしない。2年からはなんだかんだセンコウの言う通り毎日来てただろ?」
「うん。言っちゃ悪いだろうけど……俺みたいな陰キャオタクからしたらそれがかえって不気味だったけど」
「大丈夫俺も不気味だと思う。まあ真田も周りのこと見てないようで見てるから、空気察して話しかけてくる奴以外は目も合わせないようにしてたみたいだ……怖がらせないように」
勤勉さはないけど誰よりも正直者、他人の気持ちがわかる繊細な人で、そのくせ自分の守りたいもののためなら手段を選ばない。そこに深い理由なんてない、ただ真田仁というのは、そういう人間なんだろう。別に今更なんとも思わない、大事なのはそんな性格の仁が、これから何をしたいかだ。
警察官と言う将来の夢は全力で応援する、いい夢だと思ってる。俺みたいに夢も持てずに区役所の公務員とかを考えているよりかはずっと。勿論区役所勤務の大人を馬鹿にするつもりはない、もっと言うと許せないのは公のために務める人達の中に夢が見つからないからここにすると適当な理由で入ろうとしている自分だ。
「……俺は、人生で誰も幸せにしたことがない。弟の後をついて行くだけのダメな兄貴だからな、そこんところお前とは逆だ」
「そっか」
「でも、俺は……おれは、誰よりも前にいる人間の背中を押せる男だと思ってる」
自分でも何言ってんのかわからない。こんな言葉で譲治が納得するわけがない事は重々しく承知している。でも、考えて紡げるような言葉は俺の頭に詰まっていない。だから、心で話す。自分でも何を言うのかわからない、つまりはこれだ、これから俺は思いつきで譲治を説得して見せる。
「前にいる人間の後をついてって、時には手を引いてもらって、そうしないと俺は自分で歩くことさえできない。自分の夢を掴み取ろうとしてる仁と釣り合うだとかは微塵も思ってない」
「……それで?」
「でも、その、だから……」
「お前は前にいる人間を、どうしてやれるんだ?」
「……ただ背中を押すだけだ。1回でダメなら2回、10回でダメなら11回、俺は押し続ける。もしそれでもダメなら、頭でも撫でて励ましてやるよ」
なんだか譲治に助けられた気もするけど、これが言いたいことの全てなようだ。譲治は少しばかり空を見つめた、俺は床の畳を見つめた。背中を押すなんて、そんな事を自慢にする自分が少し恥ずかしいけど、でもそれでもここまで熟考している様を見ると期待してしまう。
「これはアレだ、ないものねだりか……」
一言空に吐き捨てたその言葉を聞き逃すほどドジではない。力強く掴まれてそろそろ限界を訴えていた肩がようやっと解放された。譲治に視線を移そうとしていたら、頭にそっと手を置かれた。
「いいぜ、仮合格だ!」
「か、仮?」
そんな中間の合格通知もらったってどうすれば良いのか分からない。ただよく頑張ったなと兄のように俺の頭をなでなでしている譲治が嬉しそうと言うことしかわからない。
「まだまだ真田の、俺の弟の婚約者としては修行不足だが、背中を押すのは気に入った。俺にはない能力だからな」
「そ、そうか。ありがとう」
「それに俺も一応梓のことエロいって思ってるし、なんなら将来俺の妻、つまり極妻にしてやってもいいなとか思ってるから、まだ仮合格」
なんかとんでもない事言われてる気がする。ってか今さりげなくブラックな二家本の家庭事情が明らかになった様な違うような、いや普通に淀みなく明らかになってるな。
「極妻は間に合ってます……」
「そんなこと言うなって、俺の家の中じゃ憲法も法律も通用しないから男同士でも婚約可能だ」
「そう言う問題じゃあない」
店主と仁が帰ってくるまで、ろくに十二単衣の着付けも出来ずに、俺は拒否と逃亡を繰り返していた。
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