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”
その日の夕方、蘭は行きつけのカフェで、一人カフェオレをすすっていた。愛人にすることは確約させたものの、どうも気分はすっきりしない。
――勝手に噛むわ、中出しはするわ、オメガを何だと思ってやがる……。
白柳と別れた後、すぐにアフターピルを飲んだから、妊娠は防げただろう。しかし、いくら目的達成のためとはいえ、あんな身勝手な男の愛人になるなんて、考えただけでも気が重かった。
「よう、さえない顔してんな」
顔を上げると、待ち合わせ相手の稲本晃也 が立っていた。蘭が勤めていた『日暮 新聞』の政治部記者で、元同期だ。大の親友でもある。
「何もかも上手くいったんだろう? そう言ってたじゃないか」
稲本は、蘭の向かいに腰かけると、やってきたウェイトレスに向かって「エスプレッソ」と告げた。ウェイトレスは、顔を赤らめると、稲本と蘭をチラチラ見比べた。こういう反応には、慣れっこである。稲本はスタイルが良い上、野性味あふれる精悍な顔立ちだ。おまけにアルファなので、蘭と二人でいると、たいていカップルに間違えられる。
「それとも、問題でも起きたか?」
ウェイトレスが去ると、稲本は小声で尋ねてきた。蘭は、ふーっとため息をついた。
「ああ。大問題がな」
後ろ髪をかき上げ、稲本に向かってうなじを見せる。噛み痕を見て、彼は息をのんだ。
「――番になったのか!?」
無言でうなずくと、稲本は信じられないといった様子で首を左右に振った。彼には、白柳の籠絡に成功した、としか報告していなかったのである。
「おい……。やりすぎだろう? そこまでしなくても……」
「俺だって、そんなつもりはなかった。あいつ、勝手に噛みやがったんだ」
「――なっ……! 同意なしでか?」
急に本物のヒートが来た、それを利用して誘ったらこうなったのだ、と説明すると、稲本は頭を抱えた。
「ったく……。親父も親父なら、息子も息子だな」
「その名前は出すなよ」
陽介の父、勲 の偽善者ぶった顔が脳裏に浮かび、蘭はこめかみを引きつらせた。
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