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「――返せよ!」  蘭は、慌ててレコーダーを取り返そうとした。本来なら、今夜行われるはずの情事で使う予定だった。勲に関する情報を引き出し、()ろうと思っていたのだ。 「そんな真似をしたら、格好のネタになるぞ。ほら、記者が物陰から狙っている。今朝から、追っかけ回されているからな」  見回せば、確かに報道陣らしき車が控えている。注目の若手代議士が結婚発言となれば、付け狙われて当然だろう。車中で揉み合っていれば、イチャついていると見られかねない。蘭は、取り戻すのを諦めて、陽介をにらみつけた。 「録音て、何のことだよ? 俺は何も()っちゃいない」 「白々しいな。ホテルでのことだよ。俺が面倒をみると言ったのを、録音していただろう。もう婚約までしたんだ。約束は違えようがない。データを残しておく意味はないだろう?」  ――何もかも、お見通しかよ……。  蘭は、考えを巡らせた。確かに、陽介の言うとおりだ。両親に挨拶し、テレビで宣言までした以上、約束を破る可能性はないだろう。今となっては、利用価値のないデータだ。 「わかった。消すよ。その代わり、一つ貸しだからな」  蘭はレコーダーをひったくると、陽介の目の前で録音を消した。 「ほら、これでいいだろ?」  ふと見上げると、陽介は微笑を浮かべていた。 「何だよ」 「いや、蘭はその方がいいなって。最初の猫をかぶっていた頃より、そうやって素で喋っている方が、ずっと魅力的だ。……可愛らしい」  蘭は、思わず絶句した。可愛い、などと言われたのは初めてだ。綺麗だ、色っぽいという言葉なら、セクハラめいたニュアンスで投げかけられたことはあるが。口の悪さと負けん気の強さのせいで、仕事仲間からはむしろ、可愛げがないと言われてきたくらいなのに……。 「ほら、その顔も。……今すぐキスしたいけど、記者が見張っているから無理だな。ホテルまで我慢するとするか」  陽介が、車を発進する。蘭は、そんな彼の足を思いきり蹴り飛ばした。 「――痛い! 何するんだ、危ないだろう」 「ホテルには行かない。家まで送れ。上がるのもなしだ」 「どうして。番になって初めての営みを、楽しみにしていたのに」  平然とそんな台詞を口にする陽介の足を、蘭は再び蹴飛ばした。 「知るか。一人で慰めてろ!」  蘭は腕を組むと、ぷいと横を向いた。自分でも説明できない不思議な感情で、胸がざわざわしていた。 

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