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 稲本と別れた後、蘭はあれこれ考えながらマンションへ帰った。  ――稲本にばっかり調査させて、悪いよなあ。早く、陽介と仲直りしないと……。  今夜もう一度メッセ―ジを送ってみるかな、などと思いながら玄関を開けた蘭ははっとした。ダイニングの方から、灯りが漏れているではないか。見れば、自分のものではない靴もある。  ――まさか……?  慌てて靴を脱ぎ、廊下を走る。ダイニングのドアを開けると、果たして陽介の姿があった。 「不審者でも侵入したかと思ったぞ。何だ、あのキッチンの惨状は?」  蘭を見るなり、陽介は冷ややかに言った。蘭は真っ赤になった。そういえば、キッチンを片付けないまま、出かけてしまったのだった。 「お前、何で急に帰ってくんだよ!」  動揺した蘭は、つい口走ってしまった。 「自分の家に帰って、何が悪い。それとも、俺が帰ったらまずいことでもあるのか?」 「……い、いや、そんなことはないけど」  俺の馬鹿野郎、と蘭は自分をののしった。あれほど、仲直りしようと心に決めていたのに。 「びっくりしただけだ……。仕事のめどはついたか? 今晩からはここで過ごせるのか?」  蘭は、精一杯の笑みを浮かべてみせたが、陽介の表情は硬かった。 「いや、必要なものがあったから取りに来ただけだ。地方講演に出かけるから、もう出発する」 「……そんな」  蘭は、思わず下を向いた。いくら蘭に非があるとはいえ、結婚してから、ちっとも一緒に暮らせていないではないか……。だが陽介は、そんな蘭を構うでもなく、淡々と告げた。 「それでだ。俺はまたしばらく留守にするから、その間君に頼みたいことがある」 「何だ?」  蘭は、渋々尋ねた。 「こっちへ来て」  陽介は蘭を、リビングへと促す。彼に付いて部屋に入った蘭は、目をむいた。室内には、ベビーベッドがあったのだ。そこには、生後間もないと思われる赤ん坊が眠っていた。 「この子の世話をしてくれるか?」  陽介は、こともなげに言った。

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