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「あー、ごめんよ。お前は悪くないんだからな、海」
蘭は、ベッドから海を抱き上げた。おもちゃを使ったり、音楽を聴かせたりしてあやしてやったが、海のぐずりは収まる気配がない。蘭は、途方に暮れた。
――ミルクもやったばかりだし。おむつも替えたとこだ。どうすりゃいいんだよ……。
何もかも陽介のせいだ、と蘭は腹の中で毒づいた。地方講演後も、陽介は理由を付けてマンションに戻ってこないのである。
――まさか、このままこの子と二人で放置する気じゃないだろうな……。
その時、スマホの着信音が鳴り響いた。稲本からだった。こんな時に、と思うが仕方ない。幸い海は、音に驚いたらしく、ぴたりと泣き止んだ。蘭は、海を元通りベッドに寝かせると、応答した。
『何だ、声が疲れ果ててるぞ?』
蘭の声を聞くやいなや、稲本は言った。睡眠不足が続いているのだから、当然だろう。蘭は適当に誤魔化すと、何の用か、と尋ねた。
『いや、『オメガの会』の件なんだけどな。オメガのパートナーがいると偽って、無料カウンセリングに申し込もうとしたんだ。そうしたら、オメガ本人を連れてこい、と言われてな。市川、俺のパートナーのふりをして、一緒に来てくれないか?』
「いや……、悪いけど、しばらくは難しいな」
蘭は、海をチラリと見ながら答えた。協力したいのはやまやまだが、海を放り出すわけにはいかない。すると稲本は、残念そうな声を上げた。
『そうか……。チャンスだったんだけどな。実は、代表の沢木は、滅多に本部に来ないんだと。でも、今日これから行けば、彼女と話せるかもしれないそうなんだ』
その言葉に、蘭の心は揺れた。
――『オメガの会』代表と接触できるのか。でも、海はどうすれば……。
そこで蘭は、はっと思い出した。陽介が置いていったグッズの中に、抱っこ紐がなかったか。
「わかった、行くよ」
『本当か?』
稲本は、ほっとしたようだった。
「ああ。その代わり、いつものカフェまでは、車で来てくれるか?」
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