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「いいよ。俺もピルの件は、本当に悪かったと思ってるし……」  陽介は、ほっとしたような表情を浮かべた。 「ありがとう、そう言ってくれて……」  その時、寝室の方から泣き声が聞こえた。 「海だ。そろそろミルクの時間だな」  蘭は、あわてて下着だけ着けると、キッチンへ向かった。作り置きのミルクを準備して寝室へ向かうと、なぜか陽介も付いてくる。 「何だ? 俺一人でできるぞ?」 「手伝うよ。ずっと君に任せきりだったからな」  言いながら陽介は、寝室に入ろうとする。蘭ははっとした。 「いいから、入るな!」  止めようとしたが、遅かった。ドアを開けた陽介が、一瞬硬直する。ややあって、満面の笑みが彼の顔に広がった。 「蘭。これは……」  陽介の視線は、ベッドの上に山と積まれた自分の服に注がれていた。気恥ずかしさから、蘭は思わずわめいた。 「深く捉えるな! 単なる、本能だ! 習性だ!」 「でも、嬉しいよ。俺の匂いが恋しかったんだな?」  抱きすくめようとする陽介を押しのけて、蘭は彼に授乳セットを押し付けた。 「ほら、手伝ってくれんだろ? 早くしろよ。海がかわいそうだ」  ハイハイ、と肩をすくめながら、陽介はベビーベッドの所へ行った。 「ええと……」 「まずは、抱っこして」  おっかなびっくりの陽介に指示して、どうにか海にミルクを飲ませる。いつも自信満々な彼が緊張している姿は何だか新鮮で、蘭はおかしくなった。 「ふふ」  気がついたら、声に出して笑っていた。陽介が、怪訝そうな顔をする。 「何がおかしいんだ?」 「別に」 「そうか?」  陽介は一瞬黙ってから、ためらいがちに切り出した。 「なあ、蘭。厚かましい頼みで申し訳ないんだが、もうしばらく海の世話をお願いしてもいいだろうか? この子の母親は、まだ入院していて、育てられる状況じゃないんだ。俺も手伝おうと思っていたんだが、実は解散総選挙が近くてな」 「知ってる。勲先生から聞いた」  蘭はうなずいた。 「ま、大分世話にも慣れてきたし、やってやるよ。考えてみたら、この子はお前の弟だもんな。つまり俺にとっちゃ、義理の弟だ……。それに」  蘭は、陽介を見つめて微笑んだ。 「予行練習にもなるだろ。俺たちに子供が産まれた時の、な」  陽介が、大きく目を見開く。蘭は、心の中で続けた。  ――少しずつ、気持ちを通わせていけばいい。あんな形で始まった俺たちだけど、いつかきっと通じ合える。愛し合っているのは、事実なんだから……。

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